【スポーツ】大迫傑の日本記録を引き出した井上大仁の勇気

 東京五輪の男子マラソン代表の最後の1枠がかかった1日の東京マラソンでは、日本記録を更新した大迫傑(ナイキ)がし烈な日本人のトップ争いを制した。レース後の記者会見で、日本陸連の瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダーが「大迫君は感謝しないといけない」と名前を挙げたのが“3強”の一角にいた井上大仁(MHPS)だった。

 レース序盤から30キロ付近まで2時間3分台を狙うペースに食らいつき、その背中を大迫が追っていた。32キロで大迫に抜かれ、その後は失速。2時間9分34秒の26位に終わった。それでも、瀬古リーダーは「結果的に9分台だったが、この経験は次に生きると思う」とし、「日本記録は大迫君の努力もあるが、30キロ過ぎまで井上選手が前にいたことが、大迫君の最後の粘りにつながった」と分析。「井上君がいなかったら日本記録は出ていなかったのではないか」とまで言った。

 昨年9月のMGCでは第2集団から徐々に後退し、完走した27人の中で最下位に終わった。優勝候補として臨んだレースでの惨敗。ぼうぜん自失の日々から抜け出した今大会は、意図的に「東京五輪」への意識を封じていたように見えた。大迫、設楽悠太(コニカミノルタ)の“3強対決”より「海外勢とどのようなレースをするかが今後につながる。差を縮めていかないといけない」とあくまで照準は世界だった。

 五輪代表の座を得るなら、日本記録をターゲットにした第2集団から狙う手もあっただろう。自己ベストより4分近く速い2時間3分をターゲットにした第1集団についたのは、捨て身の戦法にも見える。しかし、取材ゾーンに現れた井上の笑顔がすべてを物語っていた。

 「腹をくくってついていったので悔いはない」。前半の疲労が響き「品川で帰りたかった」と終盤は消耗しきったが、ズルズルと後退してもリタイアしなかったのは「やりたいことはやったので、やるべきことをやろうと思った」と説明した。五輪切符はもちろんほしい。それでも、それ以上に大事なものを優先した。その自分への責任を果たした。

 五輪選考がかかる大舞台で、体を張って世界との差に挑んだ。瀬古リーダーが認めたのはその勇気が世界との差を縮める一歩になると感じたからだろう。(デイリースポーツ・船曳陽子)

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