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【野球】阪神・能見、亡き父語った 思い背負い闘う 4月に68歳で謙次さんが他界

 阪神の能見篤史投手(40)は来季16年目、41歳シーズンを迎える。不惑を越えても衰え知らずの今季は、初めてリリーフとして1年を完走した。だが、平成が終わりを告げた4月、左腕にもう一つの別れがあった。実父・謙次さんが68歳で逝去。知られざる父とのエピソードなど、シーズン中に紙面で掲載できなかった逸話を紹介する。

 気が付けば周りは後輩ばかりになった。チーム投手最年長で、42歳の福留に次ぐ40歳。能見は岡崎と並び、生え抜きの現役選手として球団最長の16年目シーズンに向かう。「1年、1年が勝負」。ベテランに衰えはまだ見えない。闘う理由があるからだろう。

 平成の終わりを告げる4月のことだ。父・謙次さんから千江子夫人に電話があった。「肺炎で入院したんだ。最近、しんどいんや」。受話器から聞こえる声色に不安を覚えた。「私に言ってくるって、よっぽどじゃない?」。見舞いに行ってみようか。まだ、そんな気持ちだった。

 数日後、兵庫県豊岡市出石町の実家近くの病院に向かっていると、弟から電話があった。「病院の先生が家族みんなを呼んで欲しいと言っている」。余命宣告だった。衝撃と同時に、能見は「オヤジらしい」と思った。マウンドで貫くポーカーフェース。それは父の生きざまが色濃く映る。

 「小さいころから、俺たちに弱いところを一切見せなかった。我慢して、我慢して。そういう人だった。奥さんが気が付かなかったら、きっと病院にも行けなかったと思う」

 実家のすぐ隣には小学校がある。グラウンドは自身も所属した少年野球チームの練習場所。父は監督を務めていた。ただ、家では寡黙だった父と、野球の会話をした記憶は薄い。思い出すことといえば将棋の対局。勝ちたくて将棋クラブにも入った。「でも、強くてね」。そんな幼少期が脳裏に浮かぶ。

 野球の会話は少ないが、夕食時には必ずテレビで巨人戦を見ていた。桑田に槙原、斎藤。左腕では宮本もいた。「他にも(近鉄の)赤堀さん、高村さん。爪先を上げて投げてみたりとか、2段モーションが好きだった」。翌日にはテレビ中継を思い出しながら1人、日が暮れるまで壁当てで遊んだ。実況も自分で務めながら。

 「自分でピンチを作ってね。後ろが工場のガラスで、3枚くらい割ったけど。本当に好きやったから、面白かった。解説者になってブツブツ言ったりね」

 能見には工夫できる才能があった。そんな姿を父はそっと見守った。「こうしろ、ああしろ、と言われたことはない。あえてそうしなかったか、どうなのかは分からないけどね」。デーゲームが終わって実家に戻る。顔を見て再び神戸へ。そうやって4、5回、酸素マスクをつけた父と、最後の時間を紡いだ。

 来季16年目。前回のリーグ優勝は入団初年度の05年までさかのぼる。この年、4勝を挙げたが達成感はなかった。長くエースとして活躍しながら、今季は初めてリリーフで完走。中日・岩瀬以来となる40歳以上での50試合登板を記録した。41歳シーズンで白星を挙げれば下柳に次ぐ球団年長記録になる。

 「ずっと野球をやってきたからな。思いを引き継げるのは俺しかいない」。あと1勝届かず2位に終わった悔しさも、最下位の屈辱も味わってきた。その道中には、志半ばでユニホームを脱いだ仲間もいる。そんな思いをつなぐ野球人生に、父の死でまた一つ背負うものが増えた。まだ闘う理由がここにある。(デイリースポーツ・田中政行)

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