【野球】阪神退団の鳥谷「諦めなければ、夢はかなう」 子供たちに伝えたかったこと

 「あなたの夢はなんですか?」

 何度も、何度も問いかけた。まっすぐな瞳で子どもたちを見つめる。今季限りでの阪神退団が決まっている、鳥谷敬内野手(38)が20日、東京都三鷹市で行われた三鷹青年会議所50周年記念事業「みたか夢フェスタ2019」に出席。子どもたちに夢を持つことの大切さを説いた。

 目標は力に変わる。いつだって、鳥谷は“1番”になりたかった。小学3年生のときから始めた野球。高校は埼玉県の聖望学園に進学し、背番号「6」の投手に。同校初の甲子園出場を果たすなど、これまでの野球人生ではいつも中心選手の一人として駆け抜けてきた。

 それでも鳥谷は首を横に振る。「小中高大と野球をやってきて、投げる・打つ・走る…どれをとっても誰かに負けていて、いつも自分は2番目、3番目だった」。負けたくない。まさに、それはコンプレックスだった。

 だが、今ではそれが武器となっている。どれも1番にはなれなかったからこそ、諦めずに努力し続けてこられた。「プロに入っても変わらず、全てが1番ではないけれど、どれもある程度はできる。それが強みになった」。代打、代走、守備固め…。どれも鳥谷には無縁で、不動のポジションを守り続けてきたゆえんだ。667試合試合フルイニング出場、1939試合連続試合出場。これはコンプレックスを、自らの武器へと変えた、鳥谷の誇りだった。

 「たくさんの失敗と挑戦をしてほしい」

 夢に終わりはない。2017年5月24日。衝撃が起こった。顔面に死球を受け、鼻骨骨折。顔は腫れ上がり、鼻血はその後3日間止まらなかったという。球団トレーナーからも、「また同じ場所に当たったらどうするんだ」と出場を止められるが…。鳥谷は首脳陣に出場を直訴し、打席へと向かった。「翌日にフェースガードを作ってくれるっていうところが見つかって。これは『試合に出なさい』ってことだなって思ったんです」。その背中に、みんなの夢や希望を背負ってきた。

 阪神一筋16年。これまでいくつもの目標をかなえてきた。だが、これで終わりじゃない。「夢がかなっても、また次の夢を見つけることが大切だから」と言葉を続けた。幕を開けるのは、新たなる挑戦だ。道なき道を進むために。講演会の最後には、子どもたちに優しく語りかけた。

 「小学校のコーチにもらった言葉で、常に大事にしている言葉があります。『ピンチと思うなら、チャンスと思え』。今回阪神を辞めることになって、これはピンチじゃなくてチャンスだと。みんなも常にチャンスだという気持ちを持って、いろいろなことにチャレンジしてほしい」

 好きな動物はゾウだといい、1番最初の夢はドラゴンボールの孫悟空と照れた。「君の夢はなに?」、「鳥谷選手みたいになりたい」。野球少年が声を張り上げると、うれしそうに笑った。「最高の答えだね!!」。ボロボロになったっていい。まだ見ぬ道へ。鳥谷は一人、走り始める。諦めなければ、夢はかなう-と、子どもたちに証明するために。(デイリースポーツ・松井美里)

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