【野球】ノーノー達成は序章…貪欲に吸収し天井知らずに成長し続けるソフトバンク千賀

 ソフトバンクの倉野信次投手コーチは6日のロッテ戦が終わって深夜に帰宅すると、数カ月ぶりに自身のSNSを更新した。「この優勝争いの中、勝てたことが全て。でもこの瞬間に立ち会えたことは幸せ」(原文ママ)。球団史上76年と103日ぶりの大記録。千賀滉大投手のノーヒットノーラン達成に感慨ひとしおだった。

 コーチという立場上、もちろん選手に対して平等な視線を送ることは承知の上だ。ただ、倉野コーチにとって千賀はちょっと特別な存在だ。それは千賀も同じである。

 育成ドラフト4位でプロ入りした当初、千賀は当然のように3軍の選手だった。倉野はその当時の3軍コーチだったのだ。千賀は「プロで投げる力をつけるために鍛えてくれた人だった」と振り返る。

 今季の開幕戦で161キロを記録した右腕だが、18歳の頃は140キロすら出なかった。こんな逸話もある。新人合同自主トレで同期入団の柳田悠岐が「遊び」と言ってブルペンで投げた。144キロを計測。もう大ショックだった。

 「でも、へこむとか挫けるとかはなかった。僕は普通の公立高校から入って、この世界ではどんケツのビリのビリだったから。逆にドラフト上位で入っていたら、そういう気持ちにはなれなかったと思うけど」

 1年目の名物メニューは腹筋だった。様々な基礎練習を行ったが、登板やスコアラーの仕事がない時は試合中も雁の巣球場の正面入り口辺りでずっと腹筋をしていた。

 「遠征先でもホテルの廊下で同期と並んでやっていました。ナイター後も日課だから深夜0時頃にヒイヒイ言いながらやったことも。1日1000回がノルマでしたから」

 厳しい言葉も浴びせられた。『オマエは一番下なんやぞ』と言われたけど自覚していたから、『分かってますよ~』と言いながら必死にやっていましたね。不満なんて一つもなかった」

 1年目のシーズン当初はほとんどボールを握ることがなかった。ようやく夏頃に許可が出て、キャッチボールで腕を振ると「え!」と驚くほど球が速くなっているのが分かった。スピードガンで計測してもらうと151キロと表示されていた。

 その後、名トレーナーの鴻江寿治氏と出会って人間の体の構造を学んだうえで投球フォームづくりに励み、一気にスターダムへと、のし上がった。昨オフはダルビッシュ有に弟子入りしたり、元アメフト選手の河口正史氏の開設したジムの門を叩いたりもした。何事も貪欲に吸収し、天井知らずに成長し続ける。そのすべての礎を築き上げたのは紛れもなく倉野コーチだった。

 1軍投手コーチとエースという関係になっても、決して甘やかすことはしない。時には厳しい注文もするし、言葉もきつくなる。千賀も分かっている。その期待に応えたいと思っている。だから、大記録を達成しても大はしゃぎすることなく、どこか他人事のように控えめに喜んだ。もっともっと上の世界を2人は見つめている。

 このノーヒットノーランが千賀という投手の序章だったと言える日が、いつかやって来るのかもしれない。(デイリースポーツ特約記者・田尻耕太郎)

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