【野球】日本ハム宮西 阪神・淡路大震災経験者として胸に刻む思いとは…

 今月6日未明に起きた北海道胆振東部地震で、日本ハム・宮西尚生投手(33)も家族と共に札幌市内の自宅で被災した。現在、北の大地は復興への道を歩んでいる。1995年の阪神・淡路大震災も経験している左腕が、胸に刻むプロ野球選手としての使命とは-。

 大きな揺れを感じても宮西は冷静だった。家族の無事を第一に確認し、割れ物を安全な場所に移す。「立てましたしね。正直、大丈夫だろうと。僕は何度も経験していますし」。停電が続く中、食料調達のために自宅周辺を東奔西走。すると、幼い頃の記憶が徐々によみがえってきた。

 「ベットの上に置いてあったスタンドガラスが僕の頭の上に落ちてきて、母親がタンスの下敷きになって…」

 6434人の犠牲者を出した阪神・淡路大震災。当時小学3年だった宮西も尼崎市内の自宅で被災した。「周りの公園は避難所になっていて、そこに住んでいる友達もいました。怖かったです。父親が単身赴任で家にいなかったのもあって、ずっと不安でした」。慣れ親しんだ古里の風景が一変し、恐怖のあまり震えていたという。

 耐え難い経験をしているからこそ、懸命に復興を目指す人々の心に寄り添える。地震発生翌日の7日、仙台に向かう前に決意した。「今度は父親になった自分が家族から離れて、複雑な気持ちになりました。でも、自分にはやるべきことがあったので」。野球を通じて希望を-。再び戦いの舞台に身を投じた。

 17日・オリックス戦(札幌ドーム)。左腕は八回を完璧に抑え、通算324ホールドポイントで巨人・山口鉄のプロ野球記録に並んだ。中日・岩瀬に次ぐ史上2人目の11年連続50試合登板も達成し、現在リーグ1位の35ホールドで自身2度目の最優秀中継ぎ投手の獲得にも期待がかかる。

 「日本一の可能性がある限り僕たちは最後まで諦めない。その姿を見せていきたいね」

 大震災から23年後、故郷の景色は元通りに戻った。その地で育ち、プロ野球選手になった宮西だからこそ、伝えられるものがある。(デイリースポーツ・中野雄太)

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