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【野球】背番号15の三本松・森本塁 名付け親の亡き祖父に贈る甲子園の土

ベンチから声を出して盛り上げる三本松・森本塁
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 夏の甲子園で公立校として唯一8強入りを果たし、旋風を巻き起こした三本松(香川)。準々決勝で東海大菅生(西東京)に敗れた試合後、三塁ベースコーチとしてチームに貢献した背番号15の森本塁内野手(3年)は「じいちゃんは『絶対にあきらめるな』と言っていた。ずっと目指してきた甲子園。悔いはない」と言い切った。

 「塁」の名前は、母方の祖父・山川幸雄さんがつけてくれた。幸雄さんは興南(沖縄)の左腕エースとして1966年の夏の甲子園に出場。竜ケ崎一(茨城)との初戦で死球を受けて左腕を骨折し、無念の交代を余儀なくされた。

 そのときの甲子園の土を、森本は祖母から譲り受けている。出場当時はまだ本土復帰前だったため、沖縄には土を持って帰れなかった。幸雄さんはユニホームに付着していたわずかな土を集め、思い出として残していたという。

 幸雄さんの子供は4姉妹。野球をさせる息子がいなかったため、「男の子の孫ができたのがうれしかったようで、野球をやらせたくて『塁』の名前をつけたようです」と母・奈々さん(41)は話す。

 指導も熱心だった。幸雄さんは東京に住んでいたが、孫に直接アドバイスを送るために頻繁に香川に通った。「内からしなやかにバットを出して、コンパクトに振れ」。指導が厳しすぎて「塁はよく泣いて帰ってきていました」と母は思い出す。

 そんな祖父が心筋梗塞のため65歳で亡くなったのは4年前、森本が中学2年のときだった。葬儀の日、集まった親戚から「野球をやっているのはお前だけだから、おじいちゃんが出た甲子園にお前も行ってくれよ」と言われた。小さいころから憧れていた夢舞台。「そのときに一番強く思いました」と森本は振り返る。

 高校は地元の三本松を選んだ。1年の冬に腰を疲労骨折。痛みが長引き、遊撃のレギュラーは遠かった。それでも日下広太監督(33)から三塁ベースコーチに起用されると、冷静な判断力でチームに貢献。甲子園のベンチ入りを果たした。

 0-9で迎えた東海大菅生戦の八回、無死2塁から大久保祥吾外野手(2年)が左前打を放つと、森本は勢いよく腕を回して二走の黒田一成内野手(3年)を生還させた。チーム全員が、あきらめずに奪った1点。「いい判断だったと思います」と胸を張った。

 甲子園での戦いを終えた森本は香川に帰ってひと休みしたあと、8強入りの吉報を携え、家族と一緒に沖縄へ行く。「じいちゃんには『甲子園は楽しかったよ。後悔はないよ』と伝えたい」。両手いっぱいに持って帰ってきた甲子園の土を、祖父の墓前に供えるつもりだ。(デイリースポーツ・浜村博文)

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