【野球】元G戦士、工藤先輩の言葉を胸に市議会議員として奔走

横須賀市議会議員として活躍する山本賢寿氏
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 横須賀市役所内の一室。横須賀市議会議員となった山本賢寿の机には、大量の書類が積み重なっていた。「常に戦いたい。そういうところに身を置きたいと思ったんです」。新たな勝負へ臨んだ理由を、そう語った。

 「プロ生活に悔いはあります。いや、悔いしかないですよ」

 自身のプロ生活を振り返り、空を見つめた。横須賀市立工高(現横須賀総合)、帝京大を経て03年ドラフト6巡目で巨人入団。同期は内海哲也、西村健太朗ら。最速151キロの直球を武器に持つ山本も、即戦力投手としての期待を受けた。

 だが1年目の04年夏に右肩を痛め、約1年間のリハビリ生活を強いられる。2年目の05年は2軍で抑えとして起用されるも、オフに戦力外通告を受けた。

 期待されながら、わずか2年で終わったプロ生活。山本は「周りの期待に応えられず、自分の居場所が無いと感じてしまった。逃げるようにオーストラリアに行きましたね」。引退後は知人を頼り、野球コーチングなどを学びに豪州へ渡る。そんな山本の心に灯をともしたのは、プロ時代から交際を続けた夫人ら家族の存在だ。

 帰国後は一般企業に勤める傍ら、地元で野球スクールを立ち上げるなど精力的に活動を始めた。そして「親として子育てをしていく中で声が(行政へ)通りづらいと感じた。誰かに任せるよりも自分でやろうと思った」と市議会議員への立候補を志すようになる。

 「元巨人のプロ野球選手」の肩書は、時に山本を苦しめることも。好奇の目を受けることもあった。それでも山本は「政策で評価してもらいたかった。本当にゼロからやりましたね」と横須賀市内のすべての駅に立ち、街頭演説を行った。

 子育て支援、スポーツ環境の充実…自らの思いに市民が足を止め、声を掛けてくれる。「苦労を感じたことは無いです。楽しくてしようがなかった」。約1年間、山本は毎朝の演説を続けた。

 15年4月に横須賀市議会議員に当選。新たな戦いを始める権利を得た。十分に勝負できぬまま終わったプロ生活。それでも山本は「あの2年間があったから、今があると思いますね」と話している。

 心に留めているのは巨人時代の先輩・工藤公康氏(現ソフトバンク監督)の言葉。「工藤さんから『野球だけではなく、いろいろなことを勉強しないといけない』と教わり、現役時代から野球以外のことも積極的に勉強をしました。今に生きていると思う」という。

 議員となった今も、勉強の日々だ。19年2月には横須賀スタジアムのある追浜公園に、DeNAの2軍施設が移転予定。近隣の商店街を含めた「ベースボールタウン化」への取り組みを続けている。

 20年の東京五輪で種目復活する野球、ソフトボールの代表合宿を横須賀に誘致しすることも目標の1つ。横須賀から初の甲子園出場校を実現するために、地元の子供たちへの指導、支援、地域との連携などにも力を注ぐ。

 その他にも「地方都市の横須賀から日本を少しでも元気にしたい」と子育て支援、教育、街おこしと多忙な毎日を送る。「充実しています。横須賀から東京オリンピックの選手が誕生すれば、うれしいですね」。その目には、勝負の場に立てる喜びが浮かんでいた。

(デイリースポーツ・中田康博)

  ◇    ◇  

 ◆プロフィール 山本賢寿(やまもと・けんじゅ)1981年4月8日生まれの36歳。神奈川県横須賀市出身。横須賀市立工高(現横須賀総合)、帝京大を経て03年ドラフト6巡目で巨人入団。05年オフに戦力外通告を受けて引退。その後は一般企業に勤め、11年に横須賀のスポーツ振興を目的としたNPO法人ジャパンアカデミー横須賀を設立して現在は専務理事。15年4月横須賀市議会議員に無所属で当選。

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