【芸能】渡瀬恒彦さんの盟友・中島貞夫監督が語る「やんちゃな恒さん」

 俳優・渡瀬恒彦さん(享年72)の訃報を受け、映画監督の中島貞夫氏(82)に話をうかがった。1970年代、渡瀬さんが東映のアウトロー映画でギラギラとした(それでいて、どこか人懐っこさも感じさせる)“狂犬”ぶりを発揮した時代、公私ともに親密な間柄だった監督である。

 「恒(つね)さんって、今でも私は若い頃の呼び名で言ってしまうんですよ」。ちょうど10歳下の恒さんと、“やんちゃな映画”を一緒に作り続けた。あの熱い日々は今も鮮明に刻まれている。

 中島監督による渡瀬さん主演作に話は及んだ。まずは低予算のATG映画「鉄砲玉の美学」(73年)だ。「恒さんはノーギャラで出てくれた。自分の車で東京からロケ地の九州まで運転してやって来ました」。2011年、2人は東京・渋谷の映画館で開催された特集上映「中島貞夫 狂犬の倫理」でのトークショーで共演しているが、その中で、渡瀬さんが「監督、なんかやるんだって?」と、まだ企画の段階から中島監督に何度も聞いていたという、本当に作りたい映画を渇望する役者魂が披露された。

 このコンビによる最高峰ともいえる「狂った野獣」(76年)では、渡瀬さんが大型免許を取って自らバスを運転し、スタントマンなして横転するシーンが語りぐさになっている。渡瀬さんは「どうしても俺がやる。そのために免許を取ったんだ」と主張し、命がけの撮影に挑んだ。中島監督は「飛び立つヘリコプターにぶら下がったり。運動神経が抜群だった」と振り返る。

 当時、マルチな天才ぶりを発揮していた荒木一郎との凸凹コンビで互いに演技開眼した「現代やくざ 血桜三兄弟」(71年)をはじめ、小林旭と壮絶で悲劇的な兄弟での殺し合いを繰り広げた「唐獅子警察」と、梶芽衣子と日本版ボニー&クライドを演じた「ジーンズ・ブルース 明日なき無頼派」は74年。いずれも、底辺でもがくアウトローの姿を人間味あふれる演技で魅せた。そして「実録外伝 大阪電撃作戦」「沖縄やくざ戦争」(76年)と続いていく。

 「その流れで、作さん(深作欣二監督)の『北陸代理戦争』で大ケガをさせてしまった(撮影中、ノースタントでの車の事故で降板)。もう少し早くやめさせておけばと思ったが…」。中島監督は悔やんだ。結果的にそれが転機となり、渡瀬さんは“やんちゃ”な狂犬路線から、性格俳優へと向かっていく。

 だが、あの時代があったからこその渡瀬さんであり、当時の姿を知って欲しいという思いが監督にはある。

 「恒さん(の作品)を見ている人はテレビ(ドラマ)で-、という人が今は多いと思います。でも、こういう、やんちゃな映画もあったんですよ。そんなに年も変わらないピラニア軍団の面々に“兄貴”と慕われ、恒さんも彼らを統率した。そんな時代が…」

 中島監督は新作「時代劇は死なず ちゃんばら美学考」を世に出し、今も現役である。それだけに、10歳も若い“同志”にして“弟分”の死にはショックを隠せなかった。

 「現場を離れても、私は恒さんと付き合った。本当は優等生だったのに、“やんちゃ”であり続けた恒さん。そんなところが、かわいかった。たまらなく好きだった。いいヤツだった。近年は病気がちで、お互いに飲めなくなったが、まだ若い。寂しいですよ」

 ギラギラしていた70年代の恒さん。これからも作品の中で生き続ける。

 (デイリースポーツ・北村泰介)

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