19歳・高橋藍は「日本ナンバーワン」の守備力 東山高監督語る礎となったの3年間
バレーボール男子チーム最年少の高橋藍(19)=日体大=が初の五輪で躍動している。1次リーグ5戦全てで先発出場し、負ければ敗退が決まる大一番のイラン戦(1日、有明アリーナ)では攻守で活躍。1992年バルセロナ大会以来、29年ぶりの予選リーグ突破に貢献した。兄の背中を追い続けてたどり着いた夢の大舞台で存在感を示し続けている。
19歳の高橋が甘いマスクと熱いプレーで日本中を魅了する。最年少ながら堂々としたプレーで29年ぶりの8強入りに貢献。そんな高橋の礎を築いたのはバレーの名門、京都・東山高での3年間だ。
スパイカーの中でも抜群の守備力を誇る高橋。東山高バレー部の豊田充浩監督(52)も「日本でもレシーブ力とかボールさばきはナンバーワン」と絶賛する。元々守備力があったが、東山高の目指すバレーも合っていた。「うちは守備力を重視するチーム。高校がうまくはまったんじゃないかな」。より磨きがかかり日本屈指の守れるスパイカーとなった。
そんな中、ここまでの道のりを振り返ると2つ上の兄・塁さん(日大)の存在が不可欠だ。塁さんの影響で小学2年時に競技を始め、京都市立蜂ヶ丘中、東山高で共にプレー。兄の背中を追い続けた。
高校入学直後からレギュラーを張り、チームの中心選手となった高橋だが「お兄ちゃんがいなかったら最初の出だしの1年間の形は全然違った」と豊田監督。当時、塁さんが主将を務めていたこともあって「(先輩が)藍がやりやすい雰囲気は作ってたんじゃないかな。お兄ちゃんの存在がそうさせたと思う。(塁さんも)すごい人望のある子でしたから」。兄弟で先輩後輩という特殊な環境だが周囲も「僕らが思っている以上にすごく仲が良い。(やりにくさは)全然なかった」と、高橋が実力を発揮できる環境を整えてくれた。
東京五輪の招致が決定した13年、当時小学6年だった高橋が卒業文集に書いた夢は「東京五輪に出る」。新型コロナの影響による1年延期が追い風となり、夢が現実になった。豊田監督も「逸材」と自信を持って送り出す若きバレーボーラーが、夢舞台でほえまくる。
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