【五輪サイドストーリー】坂本花織 現地で応援した中学時代の恩師「すごい人、坂本花織は世界中の人から愛されていた」
「ミラノ・コルティナ五輪・フィギュアスケート女子・フリー」(19日、ミラノ・アイススケートアリーナ)
22年北京五輪銅メダルでSP2位だった坂本花織(25)=シスメックス=は、完璧な演技とはいかなかったが、フリー147・67点、合計224・90点で銀メダルを獲得した。
集大成の演技は、見る人全てに感動をもたらした。いつもははじける笑みがチャームポイントな坂本が、大人びた表情でミラノのリンクを舞った。神戸市立渚中時代の恩師・関口清香教諭(44)は、中学時代からの坂本のいろいろな顔を知る。「変顔したり、ウェーって泣きついてきたり、ユーモアがある。天真らんまんっていう言葉がほんまに似合う」と、優しい笑顔で当時を語った。
関口さんは中学3年時の担任。「行事は大事にする子だった」と振り返る。坂本は練習や大会で学校を休むことも多かったが、体育委員や国語係などを担当。体育大会でも、長距離走に率先して出場した。
ただ、修学旅行には参加できなかった。「見送りにきてみんなに会いたかったけど、会えずに泣いていた。会っちゃうともっと泣いてしまう。多分彼女なりに気を使ったのかな」と関口さん。中学生ながらに気配りを忘れない子どもだった。
最も印象に残っているのは、16年に引率した全国中学生スケート大会だという。国体から転戦した坂本と、会場の長野で待ち合わせ。中野コーチも帯同していたため、関口先生からは「体調は大丈夫?頑張って」とシンプルな言葉でエールを送った。
フリーに進めるのはSP上位18人だったが、結果はまさかの38位。学校に帰ってからは「『あかんかったな』っていう話はしました。『全中の借りは全中でやから、来年のインターハイ頑張りや、そこでしか返されへんよ』と話したのを覚えている」と、悔しがる坂本の背中を押した。
今でも坂本の成長を見守る。18年平昌五輪に初出場した際は、現地観戦。全日本選手権後に代表選手が発表されるまでの間は「ドキドキした」と心臓が持たなかった。22年北京五輪では成長を実感。銅メダルを獲得し、号泣する坂本には「選手としての表情の成長があった。プレッシャー、コロナ禍だということもあった。安堵(あんど)とか、複雑な感情での涙なんやなと」と語った。
本人が最後の五輪と位置づけた今大会は、8年ぶりに現地まで応援に訪れた。「坂本花織 We love your smile」と書かれ、たくさんの寄せ書きがされた国旗を持ち、応援。「銀以上」を目標としていた坂本へ「銀メダルで目標を達成できて良かったと思う一方で、実力を出し切りたかっただろう。でも、銀メダルで悔しいと思えるのはすごいこと。すごい人です。神戸の誇りです」と感無量だった。
さらには「あの旗を持って応援していると、各国の人から声をかけられたり写真を撮らせてほしいと言われたり、坂本花織は世界中の人から愛されていたのだとよくわかりました」。誰からも愛される坂本花織。有終の美を飾り、最高峰の大舞台で世界中からの拍手を浴びた。
