【五輪サイドストーリー】小林陵侑の幼少期は「スパイダーマン」1992年五輪金メダル三ケ田礼一さん明かす潜在能力
「ミラノ・コルティナ五輪・ノルディックスキー・ジャンプ・スーパー団体」(16日、プレダッツォ・ジャンプ競技場)
五輪新採用の2人一組で飛ぶ男子スーパー団体が行われ、日本は22年北京五輪ノーマルヒル金メダルの小林陵侑(29)=チームROY=とノーマルヒル銅メダルと、ラージヒル銀メダルの二階堂蓮(24)=日本ビール=で挑み、535・2点でメダル獲得こそならなかったが、6位入賞を果たした。
混合団体の銅メダル獲得に貢献するなど3大会連続の五輪で活躍した小林。小学生時代は、岩手県が現在も実施するアスリート発掘事業の「いわてスーパーキッズ」に1期生として参加した。スポーツ指導員として同事業に携わっていた1992年アルベールビル五輪ノルディック複合金メダルの三ケ田礼一さん(59)が、幼少期から見せていた小林の運動能力の高さを明かした。
のちに五輪メダリストになる130センチ台の少年が、170センチを超える子どもたちを翻弄(ほんろう)していた。事業プログラムの一つとして行ったレスリング体験。小林は俊敏な動きで相手の股をくぐり抜け、何度もバックを取っていた。当時の講師が「世界で活躍できる。レスリングをやってみないか」と熱心にジャンプからの転向を進めるほどの才能。そばで見ていた三ケ田さんは「すばしっこいというか、スパイダーマンみたいな動きだった」と懐かしそうに当時を回想した。
16年岩手国体で活躍するアスリート発掘を第一目標に、「岩手から世界を目指そう」のスローガンを掲げて始まった事業「いわてスーパーキッズ」。対象とした小学5~6年生から1114人の応募があり、50メートル走や走り幅跳びなどの体力測定を実施して、78人を合格にした。
小学生といえど運動能力が高い子を1000人規模で集めれば、身長170センチに迫る体格のいい子ばかりが残る。その中で小林は小学5年で、さらには130センチ台で残っていた。
どんなスポーツをさせても吸収が早かった。レスリングの他にラグビー、ボクシング、スピードスケート、ジャンプなど多くの種目がプログラムの一環としてあるが、「初めてやる競技であっても、2時間である程度まで習得しちゃう。対応能力が高かった」と三ケ田さん。ジャンプとは縁がない、タックルやパンチの動きも講師の手本を見て再現できていたという。
いろんな競技からスカウトがあった小林だが、最後は迷わずにジャンプの道を進んだ。三ケ田さんは「陵侑は言っちゃうとあれだけど、あまり練習が好きじゃない。でもスキーという遊びは大好きなんです。好きだからこそ熱中して2時間も3時間も極めるまでやるから上達が早かった。陵侑にとっては、スキーがゲームなんです」と、今の競技を選んだ理由に思いをめぐらせた。
初めての教え子は18年平昌五輪で初出場し、北京五輪で金メダル、そして今回のミラノ・コルティナ五輪でも堂々としたジャンプを見せた。「事業を始めた時、『10年たって五輪選手を1人でも出したら大成功だね』と言っていた。陵侑がいたおかげで、いい成果だったと言われる事業になれた。次は夏競技で(五輪選手が)出てくればいいなと思ってるんです」と優しく笑う三ケ田さん。小林の活躍は、地元に希望の光を与えていた。
