白井健三だけの道 20年東京五輪のエースへ期待と重圧を背負い切り開く

 両手を突き上げ喜ぶ白井健三
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 「リオ五輪・体操男子種目別跳馬・決勝」(15日、リオ五輪アリーナ)

 種目別決勝が行われ、男子跳馬で白井健三(19)=日体大=が新技の「伸身ユルチェンコ3回半ひねり」を決めて銅メダルを獲得した。団体総合の金に続いて2つの目のメダル。日本人の跳馬でのメダルは1984年ロサンゼルス五輪の具志堅幸司、森末慎二の銀メダル以来32年ぶり。

 その名には父と母の願いが込められている。3兄弟の末っ子。母の徳美さん(52)は次男晃二郎を出産後、流産を経験した。「ショックだったんですよ」と父勝晃さん(56)。だから、その1年半後に生まれた三男の名には、切なる思いが刻まれた。「健康な三男に」と-。

 体操は2人の兄がお手本だった。子供の頃から負けず嫌い。常に兄たちの演技を見て、食らいついて上達していった。幼稚園の時、小学生の大会に「出たい」と、泣いて駄々をこねてオープン参加。そして周囲の度肝を抜いた。完璧な床の演技で、次男晃二郎を抜いて2位に。オープン参加のため表彰状をもらえず、また泣いた。13年に日本最年少で世界選手権代表になると、2人の兄は「白井健三の兄」と呼ばれるようになったが、健三もまたそう呼ばれることが苦痛だった。「ずっとお兄ちゃんたちの練習を見本にしてきた。本当に普通の兄弟だから」。だから初めての五輪で示したかった。白井家の体操で、五輪で活躍する姿で、感謝の気持ちを-。

 その背中には友たちの思いも背負っている。白井は「天才」という言葉を嫌う。誰よりも努力している自信があるから。ただ、大舞台に立つ自分には、果たさなければいけない使命があることは分かっている。高校時代、親友が卒業を機に体操を辞めると口にした。「なんで?辞めないでよ」。そう話す白井に友は言った。「みんな健三みたいに体操だけで食っていけるわけじゃない」。心に刺さった言葉は、少年に責任を自覚させた。そして心に誓った。「誰もが立てる舞台じゃない。自分ができる最高の演技をしよう」と。

 13年に世界王者となってから、“ひねり王子”として注目され、大きな重圧を背負った。練習が思うようにならない時期、気持ちが切れそうになることもある。周囲が思っているほど順風満帆な体操人生じゃない。エースとなる期待を担い、歩む20年東京五輪までの4年。重圧はきっとさらに増す。ただ、それでも体操選手じゃない自分は思い描けない。「生まれ変わっても、僕はこの人生を歩みたい」-。支えてくれる人たちへの感謝とともに、白井健三だけが歩める道を切り開いていく。

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