クールス40周年の原点はキャロルとの夜

不惑のロック道を突き進むクールスのジェームス藤木(手前)、(後列左から)佐藤秀光、村山一海、フランク=東京・六本木
クールス40周年の節目に出版されたリーダー・佐藤秀光の本
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 「クールス」といえば、革ジャンにリーゼントにバイクにロックンロール。メンバー4人全員が60代になった今も現役のバンドだ。今年9月にはデビュー40周年を迎える。メモリアルイヤーの今夏、8月5日には3曲入りシングルとトリビュートアルバムが同時リリースされ、9月には神戸、名古屋、大阪、東京の順にライブツアーを行う。先日、都内でライブ前の楽屋にお邪魔し思いを聞いた。

 その前に、バンドの草創期をたどってみよう。1974年、東京・原宿で当初はバイクチームとして、舘ひろし(65)をリーダー、岩城滉一(64)をサブリーダーに結成。盟友関係にあったキャロルの解散と入れ替わるように、舘をセンターにしたトリオ・ボーカルで75年にバンドとして生まれ変わった(岩城は脱退)。76年には故松田優作さん主演の東映映画「暴力教室」に出演。既に20代半ばだったメンバーは学ラン姿の生徒役で、教師役の優作さん(同世代)と壮絶な“学園闘争”を繰り広げていた。

 77年に脱退した舘に代わり、38年間、リーダーを務めるドラムの佐藤秀光(64)は「あの時、永ちゃんと一緒に2次会に行ってなければ今の俺たちはなかったかもしれない。いいタイミングで流れがあった」と語った。

 「あの時」とは、75年4月13日に東京・日比谷野音で行われた伝説のキャロル解散コンサート。クールスは会場のガードを務め、その夜、舘、佐藤、以前からギターの弾き語りをしていたジェームス藤木(64)が打ち上げの2次会に飛び入りでセッションに参加し、その演奏を目撃したレコード会社のスタッフがオファー。矢沢永吉(65)が“五大洋光”の筆名で作曲したデビューシングル「紫のハイウェイ」とファーストアルバムを同年9月にリリースした。

 それから40年-。クールスに影響を受けたミュージシャンが続々と新譜に参加した。その1人が藤井フミヤ(53)。トリビュート・アルバムでクールスの名曲「シンデレラ」をカバーした。メジャーデビュー前のチェッカーズが革ジャンにリーゼント姿だったように、藤井の思いが同アルバムに寄せたコメントから伝わってくる。

 「シンデレラを聞くとティーンエイジャーの頃の思い出が蘇る。思い起こせば不良少年だった青春時代。この曲を何度歌い踊ったことか。COOLSに憧れ、R&Rや50,SやBIKERのスタイルを学んだ。今回のトリビュートアルバムでシンデレラを歌った事をタイムマシーンに乗って、あの頃の自分に教えてあげたい」

 そして、81~83年(当時はクールスRC名義)に在籍したクレイジーケンバンドの横山剣(55)は新曲「泣きながらツイスト」を書き下ろした。後輩たちにリスペクトされるメンバーの結束も固い。

 最年少でギターのフランク(60)は「黙って(先輩メンバーの)背中を見て付いてきたら40年」。40年間歌い続けたボーカルの村山一海(64)は「どこまで続けるかは神のみぞ知るですけど、声が出る限りは続けられる」。藤木は「40年というのは一つの評価になる。バリバリ元気だし、50周年を目指して頑張ります」と誓った。

 佐藤は6月に出版された著書「ハングリー★ゴッド」(東京キララ社)の中で、キャロル解散コンサートを終えた夜、雨の中を矢沢と1本の傘で打ち上げ会場に向かった光景や、同年9月に六本木の喫茶店で矢沢と互いのデビューアルバムを交換して無言でコーヒーをすすった若き日々を、あの時代の空気感と共につづっている。

 「今も現役でこうしてやってるってことは大変なもんだと思う。一本気でここまで来た。一本気といっても、ここは六本木なわけだけど」。佐藤は雨の六本木で破顔一笑。「40周年は通過点」と生涯現役の夏に燃えた。(デイリースポーツ・北村泰介)

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