りえ悲痛 最愛の母死去…65歳肝腫瘍

 女優の宮沢りえ(41)の母親で所属事務所社長を務め、“りえママ”の愛称で知られた宮沢光子さんが23日、肝腫瘍のため亡くなった。65歳だった。24日夜、りえが事務所「エム・ツー企画」を通じ、直筆署名入りのファクスで報告した。光子さんは肝腫瘍の診断を受け、自宅療養中だった。通夜、葬儀は密葬にて近親者のみで執り行ったという。

 りえは、ファクスで「最期に、生きるということの美しさと、凄まじさと、その価値を教えてもらいました。そういった全ての宝物を胸に、私は、役者として、母として、女として、惜しみなく生きようと思います。」と最愛の母への思いを書面にしたためた。

 りえと光子さんは“一卵性母子”とも言われた。オランダ人の父親が母子の元を去ってからは、母1人娘1人、固い絆で生きてきた。

 りえは11歳で芸能界デビュー後、光子さんのプロデュースのもと、めきめきと頭角を現した。仕事は全て光子さんが決め、人間関係もプロデュースしてきた。

 その濃密な関係から、りえは時に反発し、親子の絆断絶かという時期もあったが、最終的には光子さんのプロデュースのもと、役者として、女性として歩んできた。

 10代の時に話題を集めた「ふんどしカレンダー」や、人気絶頂だった91年、18歳の時に出版し衝撃を呼んだヘアヌード写真集「サンタフェ」などはすべて光子さんのプロデュースによるものだ。

 92年には当時関脇だった貴花田(現貴乃花親方)と婚約したが93年1月に婚約解消するなど波乱の人生を送るりえ。13年5月、天海祐希が心筋梗塞のため降板した舞台「おのれナポレオン」の代役をりえが務めた際には、千秋楽を劇場で見守り、記者の「りえさんの演技はいかかでしたか?」の問いかけに、両手で大きく丸を作り、OKサインを出していた。

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