バースの退団原因から見える契約問題

 よく言われるように、アメリカのビジネス社会は「契約」で成り立ち、それは「契約書」に基づいて履行される。

 もちろん、プロ野球界も例外ではない。

 日本に来た助っ人の中で、最高のホームランバッターの1人といえば、昭和63年(1988年)限りで阪神を去ったランディ・バースだろう。

 現在も阪神ファンにはなじみが深く、バース氏もたびたび来日しては、ファンから拍手で迎えられている。

 そのバース氏のすごさは5年間で200本、シーズン平均40ホーマーを打ったばかりか、通算打率3割超、昭和60年(1985年)、61年(1986年)と連続三冠王を獲得した長打力にあった。

 6年目、球団とトラブルを起こして退団したが、あのまま活躍を続けていたら、どこまで記録が伸びたかわからない。

 人柄もよく、日本のプロ野球に溶け込んでファンにも愛されていたバース氏が、なぜ、球団とトラブルを起こしたのか。

 わたしは当事者ではないから、新聞の報道によってしか知る方法はなかったが、ひとことで言えば、「保証」の問題であり、「契約不備」がこじれた事件だった。

 バース氏が阪神を去ったのは、よくあるように、監督の使い方が悪いとか、ボーナスをよこせと、ごねたわけではない。

 バース氏にも球団にも、まったく不運としかいいようのない難病に、長男ザクリー君(当時10歳)がとりつかれたのだった。

 神戸の病院で診察を受けた結果、アメリカの病院で分からなかった脳の腫瘍と判明したのだ。

 しかし、まず脳内にたまった水をとり除いて脳圧を下げる必要があり、手術が行われた。幸いにも手術は成功した。

 村山新監督を迎えての1年目、昭和63年5月14日、バース氏は息子ザクリー君を連れて帰国した。

 帰国したバース氏はただちに息子の手術のために万全の手配を整え、息子は数回の手術によってついに難病を克服した。

 だが、この間、事情の分からない球団は、何度か電話で、「早く帰って欲しい」と、連絡したが、そのたびに、「もう少し待ってほしい」と言われた。

 その状況が続くうちに、ついに阪神はバース氏を切るハラを固め、新しい助っ人の獲得に動き始めた。こうなれば、決裂しかない。

 しかし、問題が残った。家族の入院治療費である。「約束通り治療費を払ってほしい」と言うバース氏と、「できない」と突っぱねた球団が対立したが、結局は阪神が治療費を出したという。

 当時、阪神担当だった関係者に経緯を聞いたところでは、「バース氏はちゃんと約束した。事故などの場合にはわたし自身だけでなく、家族の場合もみることになっている」と話したらしい。

 しかし、球団は「そんな約束はしていない」と反発する。正確なことはわからないが、口約束に近いような発言をしたのではないかと、いうことのようだった。

 実際のところ、どうだったかはわからない。要するにきちんとした文書で契約を交わしていなかったのが原因のように思われた。

 繰り返すが、彼らは契約社会で暮らしてきたのだ。

 事故、傷害など不慮の事態に備えて保険を入れる場合、細部にわたってキッチリ契約を交わすことが大切で、怠ったばかりに多大な金を払わなければならないこともあるのだ。

 例えば、シーズン中の飛行機あるいは新幹線などによる移動の途中で思わぬ事故にあった場合、軽傷ならともかく、死者の出ることだってある。

 それがシーズンが始まったばかりという時期となると、残りの年俸を支払うのが原則となっている。

 あるいは、試合のない日、たまたま運動具店に用具購入のことで選手が出掛けて車の事故を起こした、といった場合もある。

 昭和53年(1978年)、アメリカでこんな事件が起きた。

 カリフォルニア・エンゼルスの外野手ライマン・ボストックが、たまたまパーティーで知り合った女性に、「帰り道が同じだから、途中まで送ってほしい」と頼まれ、その女性を乗せた。

 家の近くまで来て、その女性をおろしたとき、いきなり闇の中からライフルで撃たれて死んだのである。

 撃ったのはその女性の夫だった。彼は女房に男ができたことを知り、その夜もパーティーの後でその男が送ってくると考え、待ち受けていたのだ。

 射たれた選手こそいい迷惑で、迷惑どこか命を失ってしまった。

 しかし、球団社長は、全選手の契約年数とにらみ合わせて、死亡事故が起きた場合、3年間の年俸が払える金額の生命保険を掛けていた。

 この選手の場合も、年俸の残りを保険金で支払い、球団はまったく支払いなしに済んだ。社長は、「これは当たり前のことだよ」と話していたものだ。

 バース氏の例でもわかるが、一つ間違えるとトラブルになりかねない。用意さえしておけば、無用の日米摩擦など起こさずに済む。

 まあ、現在は以前と違って、球団と外国人選手の間できっちりと契約を結んでいると聞く。日本もそれだけ“契約”に対する認識が進んだということだろう。=この項終わり=

(デイリースポーツMLB解説委員・牛込惟浩)

  ◇  ◇

 牛込惟浩(うしごめ・ただひろ)1936年5月26日生まれ、79歳。東京都出身。早稲田大学を経て64年、大洋ホエールズに入団。渉外担当としてボイヤー、シピン、ポンセ、ローズなど日本球界で大活躍した助っ人たちを次々と獲得し、その確かな眼力でメジャー球界から「タッド」の愛称で親しまれた。2000年に横浜ベイスターズを退団。現在はデイリースポーツMLB解説委員。

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