米球界は日本野球をどう見ているか・上

 いまではメジャーが身近な存在になっている。テレビの生中継はもちろん、新聞やスポーツ雑誌などで詳しく報道されている。

 日本にいてメジャーの様々な情報を得ることができる時代だが、逆にアメリカ球界は日本の野球をどう見ているのか。

 ひと昔、ふた昔前とはずいぶん違ってきているだろうが、かつて私は米球界を動かしている立場の方に、思い切って疑問点をぶつけたことがある。参考になれば幸いである。

 質問は次の4点だった。

 (1)かなりの外国人選手が日本でのプレー後の印象として、「日本のプロ野球は武道である」という言い方をしています。あまり好意的な表現ではないと思いますが、あなたはどう思われますか。

 (2)日本は海で囲まれ、外敵の侵入がほとんどなかった島国です。農耕を生活手段とした集団生活の歴史は、独特の集団リズムを生み出したのではないかと思います。それが文化を育てるうえで他国とは違った色合いを出しているという気がします。米国で育った野球と日本野球の違いも、このあたりに原因の一つがあると言う人もいます。感想をお願いします。

 (3)「日本の野球は管理された野球だ」と言われます。バントの多用、複雑なサインなどが、その印象を与えているのでしょう。しかし、勝ちにこだわるファン、野球人口の少なさ、体格的にアメリカ選手に劣ることなど考えた場合、そこに日本的野球ともいえる一つのスタイルが生まれるのはやむを得ないでしょう。この違いの影響について。

 (4)「日本人には宗教がない」と言う人がいます。どうお考えですか。人種が違い、風俗習慣、歴史の違う外国人と日本人が野球に取り組めば、それなりの違いが出てくるのは当然ではないか、とも思うのですが…。

 回答者は某大リーグ球団の重要な役職にある方だ。

 〈回答書〉

 (1)日本の野球が「武道」だとすれば、監督は「将軍」(注・徳川家康のような)ということになります。この位置づけは、日米双方の野球界の構図として言えることだと思います。

 (2)戦争の歴史そして偉大なその後の日本の再建は、チームワークによって初めて成功したのだと私は確信しています。

 日本国土のサイズを思えば、チームワークに頼らなければならなかったのだと思います。

 これに対してアメリカは、かつてすべてを敵にしてしまったとき、国民は国の基礎を強くするためのあらゆる努力をしました。

 そういう状況の中でのアメリカ国民の努力は評価されていいと思っています。

 けれどもその結果、国と国民が一つになるというチームワークが影をひそめ、代わりに個人の理念が強く前面へ押し出される結果となり、その理念がワガママな、いわば自分勝手な自己主張の形になり、いい意味でのアメリカンドリームが次第に輝きを失ってきたのです。

 アメリカ人選手は今や特権を与えれば与えるほど欲求を強めてきます。日本の球団の彼に対する様々な努力に、感謝するという気持ちを持たなくなっています。

 こういうアメリカ人は、山の頂上に立ってあらゆるものを見下して自分の願望を要求してくるのです。

 いま、日米の野球の違いを言えば、相手を尊敬するかどうかにあります。

 1960年代までのアメリカの青年は、品格という点でも日本人とほとんど同じでした。労働慣習もまた、日本人の勤勉さと変わるところはありませんでした。

 だが、日本人はそのまま変わらずにきているのに、アメリカの青年たちはなんでも手に入るという生活のために、変わりはじめました。

 私がかつてプレーしていたころは、チームも一体化していました。どこへ行くにも、仲間と一緒でした。ホテルのロビーでは、いつも何人もの選手が集まって野球談義に花を咲かせたものでした。

 当時はトレーナーもいなければ、泡風呂もありません。ケガでプレーを休むということもできませんでした。ケガで休めば、たちまち失業につながってしまいます。

 現在、選手たちはトレーナー室にいる時間と、グラウンドにいる時間はほとんど同じです。彼らはお金も野球道具もすべて手に入ります。

 だから、プレーや道具などについて野球談義をするものなどほとんどいないのです。思えば、われわれはそこ選手を甘やかしてしまいました。

 選手契約をした時点から彼らに近寄ってきているのが、フロントオフィスも知らずにいます。(注・代理人の存在)

 日本とアメリカの野球の状況そのものがすべて異なっています。労働組合、代理人、金がアメリカンドリームを変えてしまったのです。

 ※(3)、(4)の回答に関しては次回

(デイリースポーツMLB解説委員・牛込惟浩)

  ◇  ◇

 牛込惟浩(うしごめ・ただひろ)1936年5月26日生まれ、79歳。東京都出身。早稲田大学を経て64年、大洋ホエールズに入団。渉外担当としてボイヤー、シピン、ポンセ、ローズなど日本球界で大活躍した助っ人たちを次々と獲得し、その確かな眼力でメジャー球界から「タッド」の愛称で親しまれた。2000年に横浜ベイスターズを退団。現在はデイリースポーツMLB解説委員。

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