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【イチローが語る仰木監督 下】

 近鉄をリーグ優勝、オリックスをリーグ連覇と日本一に導いた名将・仰木彬氏(享年70)が死去してから、今月15日で丸9年が経った。その仰木監督の下でブレイクして日本球団を代表する選手に成長し、さらにメジャーでも『伝説』になろうとしているイチロー外野手(41)が同氏との思い出を熱く語った。

 ◇   ◇

 「監督がダメだっておっしゃってたら、僕、行ってなかったですよ」

 そうイチローが振り返るのは、01年のメジャー移籍だ。

 神戸にあるいきつけの店「たん平」で弓子夫人も同席して3人で食事したのは00年のシーズン中のことだった。

 海外FA権取得は翌年。移籍の道はポスティングシステム(入札制度)しかなかった。すでに球団のフロントにはメジャーの夢を伝えていたが、最終判断をするのは仰木だと考えていた。

 「“ダメ元”だったんですよ、実は。ダメって言われると思ってたら『おう、行って来いよ』って。まさかの一言でしたね。『あざーっす』って(笑)」

 メジャー史上初となった日本人野手の誕生。「監督が僕の決断を後押しして下さった」。14年間で通算2844安打。成し遂げてきた数々の偉業は今さら記すまでもない。

 世間では仰木とは『師弟』の間柄とされているが、当の本人は「僕が“師匠”なんて言葉を使うはずがないでしょ」と笑って否定する。

 仰木がこの世を去って9年。改めてその存在を問われたイチローは沈思黙考したのち、こう答えた。

 「自分が迷っている時、仰木監督ならなんて言うかなあ、ということを考える。重要な局面に来た時に必ず思い出す人ですね。その人が笑ってくれたらすごく安心するし、力を与えてくれるんですよ」。

 仰木が笑顔で「それでいいんじゃねえか」とうなずいてくれると、前に進む力が沸いてくる。厚い信頼、強い絆(きずな)があればこそだ。

 今なお感心するのは、仰木の“柔軟性”だ。もちろん、体の柔らかさではない。

 登録名「イチロー」はその最たるもの。

 「あの年齢であの脳ミソの柔らかさをもった人はなかなかいない。経験があればあるほど凝り固まってしまう人がほとんどですけど、その反対。フワッとしているというか、力感がないというか。世の中に頑固ジジイはいっぱいいるけど、そういう人たちとは比較対照にすらならない」

 10月で41歳になったイチロー。年を重ねるごとに実感することがある。

 「世の中に対して嘆くことが多くなっている自分がいるんですけど、仰木監督が嘆く姿をあまり見たことがない。『まぁ、人がすることやから』というスタンスを常に取っていたように見えましたね。60歳までまだ20年あるけど、年齢を重ねれば重ねるほど監督はすごいなって思うのだと思います」

 イチローの心の中で仰木は永遠に生き続けている。=敬称略=(小林信行)

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