元チェッカーズ大土井裕二、ひとりで全国を巡る今

1983年にデビューし、音楽やファッションなど当時の若者に多大な影響を与えたポップスバンド・チェッカーズ。その屋台骨としてグループを支えたベーシスト・大土井裕二が、現在はアコースティックギターを片手に全国を巡っている。デビューから35年を迎えてもなお挑戦し続けている大土井に、デビュー当時の様子も交えて話を訊いた。

写真/本郷淳三

「田舎から集団就職のようにみんなで出てきた」(大土井裕二)

──まずは、裕二さんがチェッカーズに加入するまでを伺いたいのですが、ベースを持ったきっかけは?

小学生の頃、年末の深夜にキャロル(矢沢永吉・ジョニー大倉らによる伝説のバンド)のラストライブの模様がテレビで流れたんです。それを観て衝撃を受けて、これはバンドをやるしかない!と。で、真んなかで矢沢さんがベースを弾きながら歌っているのを見てたから、最初っからベースをやろうと。で、中学生の頃にバンドを組んで文化祭に出たのが最初。高校に入ってもバンドやって、ダンスパーティに行っては演奏してたんで、そこでメンバーと顔見知りになったのが加入のきっかけですかね。

──裕二さんの加入までは(藤井)尚之さんがベースを弾いていたと伺いましたが。

そうそう。俺が入るまで尚之が弾いてて。兄弟だからね。兄貴(藤井フミヤ)に「ベースはもういいから、サックスやれっ」て言われたんじゃないの(笑)?

──現在はもちろん、チェッカーズ時代も『ガチョウの物語』(テレビ番組『ひらけ!ポンキッキ』で放送)や、シングルの『I Love you, SAYONARA』『Love ’91』など名曲を作られていますが、曲作りはデビュー前からされてたのですか?

アマチュアの頃から曲は作ってましたね。

──『ガチョウ~』を作られたのはデビュー前だとか。

はいはいはい。そうですね。あれはアマチュアの頃に作った曲で、『あの娘とマッシュポテト』(シングル『涙のリクエスト』C/W)もそうですね。みんなそれぞれが、オリジナルで作り始めてはいました。

──デビュー当時、音楽番組でもアイドルのような扱いでしたが。

そうですね。でも基本的にはミュージシャンだと思ってましたね。見た目重視の一発屋的な感じで見られてたのはわかってましたし、最初は抵抗があったんですよね、やっぱり。あのカッコウから何からね。それまで、こう(とポマードを塗る仕草)やってたのが、いきなりツンツンみたいなね。でも、そのうち慣れるもんで、意外とおもしろがるようになって、楽しんでやってるうちに盛り上がってた感じですね。

──当時の周囲の盛り上がりを振り返ってみてどうですか?

一種、異常な感じですよね。いま、振り返ってみるとね。あの時代じゃないとありえない。今はね、みんなが知ってるアイドル的なものが無いじゃないですか。各自がそれぞれ違うものを見てる。当時の盛り上がりは、バブルが来て、いろんなものが大騒ぎしてるなかで、ブワーっていった感じがあった。でも、やってるときはおもしろがってやれたんで、別に苦なことは何ひとつ無くて。

──でも、寝られないほど大変な時期もあったんじゃないですか?

全然、寝てました。遊びに行って寝てなかったことはあるけど(笑)。確かに、初めて3曲ベストテン入りしたときは寝る時間が無いくらいで、あのときは住むところすら無いときがあって。テレビ局に行って、トイレで顔を洗ったり歯を磨いたりして、結構すごい時期はありましたね。まあ、そんなこんなあったけど、グループだったんでね。1人だと大変だろうけど、田舎から集団就職のようにみんなで出てきてるから。そういう意味でもおもしろかったですね。

「同じ人間が作れば、だいたい同じような曲。それは個性」(大土井裕二)

──そのチェッカーズも1992年に解散となるのですが、その後しばらくはどうされてたのですか?

役者にも興味があったんで、Vシネマでやらしてもらったりして、そういう時期が5年くらいあったかな。ほとんど音楽をやってなかったんですよ。そのうちに、知り合いからスタジオやるんで手伝ってくんないって話があって、最初は若者のプロデュース的なことから復活して、やっぱり音楽をやり始めて。

──元チェッカーズのメンバー(武内享、藤井尚之、徳永善也)の方々とアブラーズを結成したのはいつ頃なんでしょうか?

アブラーズ自体は、音楽をやり始めてしばらくしてからかな。久しぶりに連絡を取って飲みに行って、やってみようかって話が持ち上がって、やりはじめるんですけど、すぐに徳永の病気が発覚しまして(2004年、舌癌のため逝去)。まぁ、がんばってやれるところまでやろうと、1年くらいライブもやってたんですけど、ちょうどあいつが40歳で逝っちゃったんで、4人でやったのは正味1年ぐらいじゃないですかね。そのあとは3人で継続してやってて、3人ともアコギを持って飲みながら昔の曲とかちょろちょろやったり、今でも定期的に毎月東京ではやってるんだけどね。

──それ以外にもいろんなユニットを組まれていますよね?

いろいろありますが、今、現実的に動いているというのはないですね。いまはソロでまわってるのが中心。

──今年発売されたセカンドソロアルバム『HELLO』を聴かせていただいたのですが、1曲目から懐かしい。初めて聴くのになんでだろうと思ったのですが、やっぱり40~50代の世代って、裕二さんたちの音楽を聴いて育ってきたからなのかなと。

それは、間違いないと思う。匂いがね、するよね、絶対ね。同じ人間が作った曲って、だいたい同じような曲って言うね(笑)。それは個性でもあるし。基本的に曲は自分で書いて、詞はいろんな人にお願いして、今回は全部生演奏で録音してます。それぞれのパートを家で録ってもらって、キーボードの増本直樹にミックスしてもらったの。

「ひとり旅をしながら途中でライブをやらせてもらってる感じ」(大土井裕二)

──アルバムではバンド形式ですが、アコギ片手にソロで全国をまわり始めたきっかけというのはあるのですか?

50になったんで記念にソロアルバム作ろうか、せっかく作ったんだからライブやったほうがいいよね、と。そうなると手っ取り早いのは、弾き語りじゃないかって話になって。やってるうちに、じゃぁ地方にも行こうかと。ホームページで「あなたの町にライブに行きますよ。メールください」ってあげたらみんなからメールをもらって。そこの土地を調べて、お店が決まったら飛行機をおさえて、宿をおさえて・・・、というところから始めて、地道なことを繰り返しているうちに6年目に入りましたね。年間だいたい120前後かな。(収支は)プラスマイナスありますけど、ま、楽しいからね。基本的にひとり旅をしながら途中でライブをやらせてもらってるみたいな感じです。

──その土地でのふれ合いが楽しみだったり。

それはすごく大きい。この動きをして友だちがやたら増えましたね。やっぱりバンドとかユニットでまわるときは、終わったらバンドで打ち上げだけど、1人の場合はもうそこで飲んだりとか喋ったりがあるので、すごい仲良くなる人もいて。するとまた行くよって、毎年とか、半年ごとに行くお店がどんどん増えていくので。ありがたいですね。

──全都道府県、制覇されたのでしょうか。

都道府県的には全部行ってますね。ひょっとしたら行けてない場所があるかもしれないけど(笑)。

──特に関西には頻繁に来られていますが、関西に対しての思い入れってありますか?

チェッカーズの頃から関西は熱かったですよね。応援もすごかったし、やっぱりチェッカーズというバンドを一番熱く応援してくれていた土地という感じはあります。いまでもそれはありますからね。当時は大阪に入った時点で、結構大騒ぎだったんで、警察に「おまえらホテルを出るな」って言われてたこともあって、ライブが終わったらホテルに戻って、ホテルで飯食って、寝て、移動。大阪だけは、追っかけがすごい時期があったから、街なんか出られません。

──警察に止められるほどとは・・・。それは熱い。

熱いですね。ライブも盛りあがりはスゴい。なかなかすばらしい。大阪あってのチェッカーズですよ(笑)。

──いまのようにアコースティックライブになるとそこまでの熱気も感じないかと思いますが・・・。

でもね、リアルに距離が近いので、反応はおもしろいですよ。土地によって違うので。弾き語りでも、後半はロックンロールとか演るんで、踊ってるやつとかいたりね。弾き語りのライブではないような、ウォーッ!とか。

──先ほども仰ってましたが、終わった後は、お客さんともコミュニケーションを取られるのですね。

そうそう、基本的にはその場で。飲めるお店のときはその場で飲むし、たまに店を変えて2次会をしたり。

──そうやって、多くの人と接することで、お客さんの幅が拡がったように感じますか?

たまに若い子がいたりするんでね、お母さんの影響とかで。あとは男の子が昔より増えてきた。昔はほぼ女子だったんで(笑)

──男性から見て、どんな魅力を裕二さんに感じているんでしょうね。

おれもよくわからないですけど(笑)。ライブを結構楽しんでもらってる感じですよ。

「まだまだ伸びしろあるんじゃないかって」(大土井裕二)

──デビューから35年という年月が経ちましたが、裕二さんは音楽を使って何かを表現したいという思いが続いているのでしょうか?

俺の場合はね、表現と言うことよりも自分のポテンシャルがどのくらいあるのか、どこまでやれるのか、どういうことができるのか、大土井裕二は。というのをいろいろ試してみたくてやってる。歌もそうで、チェッカーズでは歌ってなくて、ウーとかアーしか言ってないから(笑)。で、50を過ぎて何で歌い出したんだっていうと、「出来るんじゃないか?歌ってみたら」と。

──常にそこを探りながら挑戦していると。

そうそうそう。「折角生まれてきて、どうせ死ぬんだから、その間で出来ることは何だろう」と、そういうことを特に50になったときに考えたのかな。それまではなかなかね。逆に50になってこれを始めたから良かったのかも。あまり早く始めると力が入りすぎて、こんなにユルくはできなかったと思うし。

──何か答えのようなものって見えてきましたか?

そうだね。やれば意外とできるような気がする。まだまだ伸びしろあるんじゃないかって。

──最後に、タブーな質問ですけど、チェッカーズのメンバーが再度集まるというのは?

現実的に言うとひとり死んでるからね。再結成って話がちょくちょく話題であがってくるけど、俺のなかでは無いなと。あのバンド自体が、集団就職のように出てきて、メンバーチェンジも無く、やりきったバンドだったので。ひとりだけ違って再結成って言うのはまずありえないし、6人でやったとしてもそれは違うバンドだよね。チェッカーズではもうないです。

──確かにファンとしては、そうであってほしいです。

そうだよね。

チェッカーズ時代のクールなユウジ、というイメージからは一転、温和で気さくなオーラをまとった大土井。ライブ会場では、当時熱狂的だったファンも今では落ち着きを見せ、緩いMCと温かいメロディに包まれながら彼のパフォーマンスを楽しんでいるようだ。ブラウン管のなかと外が別世界だったあの時代には考えられない、至近距離でのライブ。ほぼ毎週全国のどこかでおこなわれているので、これからも挑戦し続ける大土井裕二の現在を体験してもらいたい。関西でのソロライブは、神戸で10月8日、大阪で12月14日・16日、京都で12月15日に開催。バンド形式でも、大阪で10月7日、神戸で11月29日におこなわれる。

(Lmaga.jp)

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