後藤ひろひとインタビュー「大阪は夢の場所」

劇団「Piper」を主宰する演劇人でありながらも吉本興業に所属し、映画『パコと魔法の絵本』の原作者でも知られる後藤ひろひと。これまで兵動大樹(矢野・兵動)と「劇団ひろひょう」を結成したり、4年ぶりの新作舞台では黒田有(メッセンジャー)を主演に抜擢するなど、お笑い芸人たちを演劇の世界に導くキーパーソン的な役割も果たしている。そんな彼が現在力を入れているのが、観客をエキストラとして映画の撮影に巻き込み、その日のうちに作品を編集&上映する「デルシネ(出るシネマ)」だ。後藤にこの企画の生まれたきっかけや、彼自身の笑いのルーツなどについて話を聞いた。

「大阪の笑いがまったく理解できなかった」

──これまでの作品を観ていると後藤さんの笑いは、下世話なのにウェルメイドだとか、ナンセンスとホラーが紙一重とか、いろんな要素が入り混じってますよね。

俺が育った山形は、日常で「笑わせる」という文化がないから、TVから流れてくる笑いがすべてだったの。だから好きなモノを選ぶなんて余裕はなく、モンティ・パイソンもコント55号もドリフターズもまったく一緒。でもその分、いろんな人のいい部分だけを吸収できたと思うから、それで異文化みたいな笑いになったんじゃないかな。ただ俺は大阪に来た当時、大阪の笑いがまったく理解できなかったんだ。『吉本ギャグ100連発』のビデオを観て、友達と「これで笑う理由は何なんだ?!」と大ゲンカしていたから(笑)。

──それなのに後年、大阪の笑いの象徴と言える吉本に入るとは・・・。

学生の頃の俺にその話をしたら「絶対それはない!」とブチ切れるよ(笑)。俺が入った時代は、吉本の芸人の多くは演劇に興味がなくて、逆に演劇側は吉本を一方的に嫌ってるという状態が続いてた。この流れが変わったのは、たむらけんじから作・演出の依頼が来て、その時まで吉本から来た仕事には見向きもしなかった俺が、それを引き受けたことだね。

──「baseよしもと」で上演した『北大阪信用金庫』(2000年)ですね。芸人さんがアドリブほとんどなしでガッツリ芝居をするというのは、当時非常に新鮮でした。

後で聞いたんだけど、その頃のたむけんは全然売れてなくて、引退を考えてたんだって。で、最後にやりたいと思ったのが「自分が連れている若手と一緒に、後藤ひろひとの芝居をやる」だったと。それで稽古を始めたら、みんな演劇人よりも本気で練習する人たちでね。多分「こういうこともできるんだ、俺たち」って、彼らの中の何かが目覚めちゃったんだと思う。その後たむけんは芸人を続けてブレイクしたし、公演後にコンビを解散した(お~い!)久馬君とかは「劇団的なことをやりたい」と言い出して・・・。

──それが後藤さんが名付け親になった「ザ・プラン9」。

そうそう。あと稽古場で「もう後は本番でよろしいやん」とか言い出したので、途中から稽古に入れなかった奴がいたんだわ。それが相当悔しかったらしくて、その後すぐ吉本新喜劇に入って、あっという間に座長に上りつめたのが小籔一豊(笑)。「あのヒゲの親父を見返したい」ってコンプレックスが、あいつの源流にあったんだろうね。

──そんな流れで、今では芸人が演劇の舞台に出るどころか、自ら作・演出やプロデュースをすることも、すっかり珍しくなくなりましたね。

(Piperの)川下大洋が「20年前なら当然演劇をやっていたような奴らが、今は(入学金)40万を持ってNSCに入る」と、まったくその通りのことを言ってるんだよ。だから今になって演劇をやりたがる芸人が増えたんだと思うし、俺はその垣根を超える手助けにはなれたんじゃないかなあ。その中でも一番愛せない、フランケンシュタインの創造物が、キングコングの西野亮廣(笑)。俺の作品をパクって書いた脚本の演出を頼んできたりとか、何年か一度俺の前に現れて、メチャクチャにしていくんだよね、俺の人生を(笑)。

──ところで後藤さんは以前、今も大阪に居続ける理由として、「『笑いの街はどこですか?』と聞かれて、その国の誰もが即座に名前を上げる都市など、世界中を探しても大阪しかないから」と話されてましたよね。

それは今でもそうですね。だって笑わせるのが上手な奴がすべてにおいて出世するなんて、俺にとってはカレーのお風呂と同じぐらい夢の場所ですよ(笑)。それにもし東京にいたらすぐビジネスに引っ張り出されて、4年間も(演劇の)新作を書かないで好き勝手やってるとか、許されなかったと思う。でもその間もとっても楽しくて、笑わない日が1日もなかったのは、やっぱり大阪の街が楽しいからなんだよね。この『デルシネ』も元はと言えば遊気舎(※後藤がかつて所属していた大阪の劇団)でやった『エル・ニンジャ』シリーズ(1995年、2000年)が原点だし、最初に大阪のお客さんが楽しんでくれたから可能性が広がったっていうのが、もちろんあると思うよ。

「ひどい映画っていうのが、とっても大事」

──演劇とお笑いと映画の究極の融合と言える今回の企画『エル・シュリケン vs. 新昆虫デスキート』が、6月1日~7日まで「ABCホール」(大阪市福島区)で開催されます。私は『エル・ニンジャ』時代からこの企画に参加してるんですけど、1時間程度で撮影したシーンをその場で編集して、その1時間後ぐらいに上映会が実現するというのが、すごい時代になったもんだと思いました。

『エル・ニンジャ』をやった90年代の終わり頃って、家庭用のPCでも映像やゲームを作れるようになって、その可能性に自分がのめり込んだ時期でね。それで知り合いの映像ディレクターに「撮影した映像をその場で編集して、すぐ上映するってできるのかな?」って相談したら「今の時代なら可能だ」って言われて実現したのが、あの企画だったんだ。

──これには後藤さん自身の、数々のエキストラ体験も反映されてるそうですね。

エキストラって、映画の内容とか全然説明されず「ただ応援してください」「ただ逃げてください」とだけ言われるの。それで完成した映画を観たら、応援している相手が実は悪人だとか、逃げるんじゃなくて追いかけるシーンだったとか、わざとだましの演出をしている事が結構ある。デルシネでもそういう演出をする方が、やっぱり面白い表情が撮れたりするし、お客さんも映画を観た時のツッコミや驚きが大きくなると思うんだよね。

出演者の板尾創路。『エル・シュリケン vs. 新昆虫デスキート』より

出演者の板尾創路。『エル・シュリケン vs. 新昆虫デスキート』より──実際「そんな役だったのかよ!」と、映画のグダグダな内容と合わせて愕然としました。それはデルシネ第一弾の『エル・シュリケン vs 悪魔の発明』(2013年)でも、まったく同じでしたね。

主役の演技が本当にひどいのが見せ場だという(笑)。でもその「ひどい映画」っていうのが、実はとっても大事なことなの。いい映画の中に素人の自分たちが出ると、そのシーンが邪魔に思えてしまうけど、他のシーンがそれ以下のことばっかりなら、逆に自分たちのシーンが引き立って見えるわけだから。今の時代はみんな、家庭用ビデオカメラとかで撮影慣れしているけど、こんな風に「おお、本当にお話のなかに入ってるよ!」っていうのは、やっぱりうれしいことだと思うんだよね。

──「映画撮影の現場」という芝居の枠内にお客さんを巻き込むことで、より現場の臨場感を持たせるという仕掛けは、やはり演劇の人。しかも観客を舞台からイジることが大好きな後藤さんだからできたことだなあと思います。

そうだねえ。お客さんにスポットを当てて、勝手な心の声をナレーションするとか、いっぱいイジったなあ(笑)。「デルシネ」ってライブ・・・演劇の部分がすごく大事だから、多分映画の人ではできなかったやり方なんじゃないかな。今は3Dとかが標準になってきている時代だけど、もっとすごいことがある。映画が飛び出すんじゃなくて、自分から入っていけるようなものは、ソフトとして必要なんじゃないかなって。お客さんを映画館まで足を運ばせる仕掛け、あるいは映画の撮影システムの一個の可能性として、「デルシネ」はとっても新しくていいことなんじゃないかなって、俺は思っています。

──今まで沖縄や京都などでも上映していますが、印象深い出来事はありますか?

沖縄でやった時に1回ハードクラッシュがあって、完全に映像が飛んだのね。その時は俺が弁士になって「ここでお客さんのシーンがこう入ります」って説明して、エル・シュリケンのシーンでは本人が出てきて、ヒーローショーみたいになってた(笑)。でもそれはそれで、普通に映像を流すよりも盛り上がりましたね。あと今回の『新昆虫デスキート』はプロレスの試合の話なんだけど、この前やった沖縄では、プロレスを知らないような女の子や子どもまで、完成した映画を観てエル・シュリケンコールを送ったり、彼が勝ったときには大きな歓声を上げてくれたんだ。映画でもここまで反応してくれるなんて・・・と、泣きそうになりましたよ。離島の漁師さんとその子どもたちみたいな人までが、大声を出して楽しんでくれたっていうのは、間違いなく大阪では大変な盛り上がりになるぞ、という自信にはなりましたね。

──今回、特に期待してることはありますか?

プロレスを知らない人もここまで盛り上がれるんだから、プロレスが好きな人なら、さらにうれしいんじゃないかな。武藤敬司さんや、俺が今の女子プロレスでトップだと思ってる松本浩代ちゃんも出てるから。プロレス好きと、映画好きにもっと来てほしいね。しかも今回は公演期間が長いから、一度観に来て「次はこの役で出よう」と言って準備するお客さんが出始めたら、相当面白いことになると思います。それでこのデルシネのシステムに興味を持つ人がいたら、日本中どこでも喜んで出かけますよ。ピューロランドが「欲しい」って言うなら、俺は子どもたちがキティちゃんと共演できる映画だって撮るからね(笑)。

取材・文/吉永美和子

【プロフィール】

後藤ひろひと(後藤・ひろひと)

通称「大王」。1969年2月23日生まれ、山形県出身。劇作家、演出家、俳優。1987年に大阪の劇団「遊気舎」に入団。1989年に二代目座長を襲名し、ほぼ全作品の作・演出を担当。変幻自在のギャグとキテレツなキャラが満載のコメディで、関西以外でも大きな注目を浴びる。1996年退団後、1997年に川下大洋と「Piper」を結成。その翌年に吉本興業とマネージメント契約を結び、小劇場から商業演劇まで多彩なコメディを発表し続けている。代表作に『ガマ王子VSザリガニ魔人』(『パコと魔法の絵本』で映画化)、『ダブリンの鐘つきカビ人間』など。現在ABCラジオ『秘密結社 大阪ぴかぴか団』(日曜23:00~23:30)でレギュラーを務める。

(Lmaga.jp)

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