【有馬記念スポーツ7紙特別企画】if もしあの名将が名馬に乗っていたら…
2人の想い出の名馬は?!
志らく 有馬記念で印象に残っているのは、ダイユウサク、メジロパーマー、ナリタブライアン、グラスワンダー、テイエムオペラオー、ディープインパクト、ハーツクライ。最近だとキタサンブラック、リスグラシュー、クロノジェネシスですね。でも、やはりオグリキャップ。オグリキャップから私の競馬歴がスタートしているので。
笠松から来て旋風を巻き起こした88年の有馬記念のタマモクロスとの戦いの頃は競馬が何たるか分からない状態で(立川)談志の友達に誘われて、私と先輩の(立川)談春と2人で有馬記念を買ったのが最初ですね。みんなオグリキャップとタマモクロスに注目してるんだけども、私はその時メジロデュレンという前の年の勝ち馬を買って外れて。ただ、そこからオグリキャップの物語を知るようになり、追いかけ始めた。一番印象に残っているのは有名な90年の引退レース。それまで強かったオグリキャップがその年、徐々に成績を下げていってジャパンCでも11着に惨敗したあたりで人気は急降下。それまでオグリキャップを買ったことがなくて。ひねくれ者なので、スターホースはあまり好きでなく、どちらかと言えば地味な脇役の方が好きで、人気者には全く興味がなかった。周りのおじさんたちが「終わったよ、オグリは」と言うから、オグリが気の毒になってきて。その時、これだけ楽しませてくれたオグリキャップが引退するのならば、記念に単勝を買おうと。当時3000円ぐらい買うのが精いっぱいだったのに有馬記念で単勝1万円。当時の自分としては全財産をなげうつぐらいのことを、競馬でやっていいのかという葛藤がありました。誰に聞いても勝たないというオグリキャップを買って、最後勝つんですよね。その時は思わず涙が出ましたよ。ものすごく感動しました。競馬で感動したのはその時が初めてかな。
伊沢 僕が競馬と出会ったのはディープインパクトがきっかけです。小学5・6年のころです。スターホースが出てきたことで、競馬というスポーツがあることを初めて知りました。学生時代はウイニングポストをずっとやっていまして競馬を覚えていきました。シンボリルドルフ、グラスワンダー、スペシャルウィーク、テイエムオペラオーなどはゲームで知った名馬たちです。オルフェーヴルが2回目の優勝を飾った13年有馬記念は大学1年生だったのでよく覚えています。暴れつつも勝つ。しかも強く勝つ。これがスターホースなんだと思いました。記憶のなかに強烈に刻まれた名前の強さがディープインパクトなら、はじめて意識的にレースを見て感じた視覚的な強さがオルフェーヴル、という感覚です。
もし、オルフェーヴルとディープインパクトがあの名将と出会っていたら
志らく 競馬ファンの中でディープインパクトとオルフェーヴル、どっちが強いんだとよく言われています。僕はどちらかといえばディープインパクト派なんですが、オルフェーヴルも三冠馬でとにかく強い。三冠馬で3歳時に有馬記念(11年)まで勝つという馬はなかなかいません。凱旋門賞に挑戦した最初の年(12年)はほぼ勝っていましたよね。あれが負けたって、いまだに信じられないぐらい。日本中の競馬ファンに「勝った、ついに凱旋門賞を勝ったんだ」と言わせた馬。13年の凱旋門賞も2着で、帰国後の有馬記念を勝ってラストランを飾りました。
もし、ディープインパクトとオルフェーヴル、最強馬と称される2頭が戦国武将と出会っていたら、どんな風になっていたのでしょうか。
伊沢 オルフェーヴルとイメージが合致する武将、私の中では織田信長しかいません。まず、海外挑戦をしている。信長も明(みん)への野望があった。南蛮鎧を身につけたり、宣教師を保護したり、海外へいち早く目を向けた武将でもありました。暴れん坊な感じは、織田信長の生まれ変わりなのではと思えるくらい。オルフェーヴルの馬名は金細工師から来ていますが、信長も秀吉も金は好きですからね。だ、暴れ者をむしろ厚遇するのは信長なのかな、というイメージ。
栗毛で派手な馬体のオルフェーヴルに乗った信長が戦場にいると想像すると、まあ、すさまじいことになったんじゃないかな。桶狭間の戦いでは崖の上から今川義元の本陣に攻め込んで、一気に戦国の世に輝きを放ちだした信長ですが、上杉謙信に勝てなかったとか、寺社仏閣勢に苦戦したりとか、姉川の戦いで苦戦したり、天下に覇を唱えるまでには勝ったり負けたりを繰り返していました。オルフェーヴルとのコンビなら戦場を暴れまわり、連戦連勝していたんじゃないかと考えてしまうロマンがありますよね。宴会をしていた今川勢はひとたまりもなかったでしょう。
本能寺の変で明智方から逃げる、というのは無理だとしても、もしかしたら本能寺の変なんて、起こる間もなく四国、九州、東北へと攻め入って天下統一を実現。
徳川政権すらもなかったかもしれません。さらに、天下統一した信長が世界に爪痕を残すなにかをしていたんじゃないかと思うとワクワクしてきます。
信長は負けからも立ち上がりました。オルフェーヴルも負けても、そこから復活してますからね。
お互いの思考も趣味も合ってまさに人馬一体だったんじゃないですか。信長自身も馬を大事にし、家臣に馬を贈っていました。信長は大きな馬に乗っていたという話もあり、馬に乗ってみんなで行列するという馬揃(ぞろ)えをやっています。今でいうパドックなのか、馬場入場なのか。観ていた人もきっとワクワクしたんだろうなと想像します。歴代の有馬記念優勝馬を従えているオルフェーヴルというのもぴったりですね。
志らく 織田信長とオルフェーヴル・・・それは凄い組み合わせですね(笑)
ディープインパクトは無敵で三冠馬になり、有馬記念も当然、ディープインパクトが圧勝だろうと思っていたら、ルメールが騎乗するハーツクライに負けるんだけど。これが油断した訳じゃなく、ハーツクライはまぐれじゃないんですよ。一番後ろからいって最後に差すという追い込み馬で、いいところまで行くんだけどG1は勝てていなかった。でも、相当な力があるとルメールが期待していて先行策を取り、ディープインパクトに土を付ける。これがディープインパクトの初黒星。ディープインパクトがすごいのは、そこから凱旋門賞を除き、最後まで全部勝つんですね。最後の(06年の)有馬記念もぶっちぎって勝ちました。JRA史上最も強い馬だと思う。走るんじゃなくて飛ぶと言われていたし。父になってからの活躍も本当に凄くて…子供同士で走った中で印象に残っているのは19年の有馬記念、ハーツクライ産駒のリスグラシューがディープインパクト産駒のワールドプレミアに勝つんです。14年の有馬記念ではディープインパクト産駒のジェンティルドンナがハーツクライ産駒のジャスタウェイに勝つなど親子対決でもファンを沸かせてくれていますね。
伊沢 ディープインパクトはあまりに強すぎてどの武将が相応しいのか色々考えましたけれど、考えれば考えるほど、どの武将がタッグを組んでいたとしても天下を獲れていたような気がしますね。ディープインパクトと出会った武将が天下人となるって図式は一番しっくりきませんか。ディープインパクトのように強くて衝撃を与えた武将を探してみたけれど最強のまま生涯を終えたという武将はあまりいないし、織田軍に勝利したことがある上杉謙信あたりは「負けない」イメージがあるのでありかも。
上杉家はその後も繁栄したし、子孫が活躍しているディープインパクトに近いイメージかな。もし真田幸村と組んでいたら大阪の陣では真田軍が主役となり豊臣方を勝利に導いていたかもしれません。実際に上田合戦では徳川秀忠の軍に勝ち、夏の陣では家康に死を覚悟させるほど迫っているわけで、真田が徳川に勝って豊臣の世が続いていたかもしれません。
後世に「日ノ本一の兵(つわもの)」と称えられることとなる真田幸村は、まさにディープインパクトの系譜なのでは?そんなロマンを感じるのです。
徳川家康とテイエムオペラオー
志らく オルフェーヴル、ディープインパクトと話をしましたが2000年のテイエムオペラオーもすごい馬です。99年の皐月賞を勝った後は日本ダービー3着、菊花賞2着、有馬記念3着と勝ちきれないレースが続きましたが翌年に頭角を現し、重賞7連勝で有馬記念に出てきます。レース中に不利があり、「テイエムオペラオー駄目だ」と思ったときに何とかこじ開けて勝つんです。朝、壁にぶつかって目が腫れて、きつい状態で出てきて、レースでも不利がありながら勝ちました。
伊沢 わずかの隙間をすっと出てきますよね。すごく好きなレースです。和田竜二騎手が放心状態で「馬に勝たせてもらいました」という感じで。
これは例えるなら徳川家康が一番相応しいかなと思います。両方とも世紀末覇者。家康は1600年の関ケ原の戦いを制し、オペラオーは400年後に決戦を制しました。家康は雌伏の時をすごして、わずかなチャンスを逃さずに、秀吉が天下を取った時はうまく秀吉とつながりつつ、したくない仕事をいっぱいして、最後、秀吉死後の瞬間を狙って上がっていって頭(かしら)になったところあたりはこの年のテイエムオペラオーに重ねたいですね。1999年の有馬記念、3着になったあたりからまさに頭角を現したんですよね。年間重賞7勝・うちG1を5連勝(天皇賞・春、宝塚記念、天皇賞・秋、ジャパンカップ、有馬記念)するあたりも、天下取りの最終局面で連戦連勝だった徳川家康らしさと重なります。武田軍との一大決戦だった「三方ヶ原の戦い」ですが史実では、待ち受ける武田軍に突撃して大敗。本人も脱糞して逃げ帰るくらいだったといわれています。もしもこのとき、脂の乗り切ったオペラオーと一緒だったらどうなってたんでしょうか。戦国最強の武田の騎馬軍団VS世紀末覇者。この時期の武田家ってもっとも強い時期でもあったので、家康が勝っていたら本当に世紀末覇者でしたよね。海道一の馬乗りと言われた家康がテイエムオペラオーに乗り、信長がオルフェーヴルに乗っていたらどうなるだろうと妄想します。覇気だけでブルッちゃいますね。世紀末覇者は信長とどう相対していったのでしょうか?信長と家康がライバルとして対決する歴史もあったんじゃないかなと思います。それこそ信長VS家康の関ケ原の戦いなんてのもあったかもしれませんね。
信長、家康とくれば秀吉は?そうなると秀吉はグラスワンダーかオグリキャップあたりでしょうか
志らく グラスワンダーといえばスペシャルウィークとの激闘が有馬記念では思い出されます。同期のスペシャルウィークは優等生、グラスワンダーは外国産馬で当時クラシックに出られなかった。この2頭が99年の宝塚記念で初対決しグラスワンダーが勝つんです。当時の私はエリートのスペシャルよりも、別路線のグラスワンダーを応援していました。すごく良かったなと思って。でもスペシャルウィークが負けたことで、今度はスペシャルウィークに肩入れして応援しちゃうんです。99年の有馬記念はほぼ同着で2頭がゴール。どっちが勝ったか分からなかったけれど、スペシャルウィークが勝った雰囲気があり、私は単勝馬券を持っていて安心していたのですが結果はグラスワンダーが勝ちました。そのままグラスワンダーを応援していれば良かった。このライバルの戦いは面白かったですね。
伊沢 首の上げ下げ、わずか4cm程の差の勝負で決まったんですよね。今年サッカーワールドカップで話題になったVAR判定ではないですが、競馬の世界では遙か前から写真判定が導入されていますよね。あの判定を待つドキドキ、たまらないです。もしも戦国時代に写真判定があったなら・・って話が飛び過ぎましたね。スペシャルウィークは織田家の中でも優等生にして筆頭、猛将といわれた柴田勝家、グラスワンダーは最後にしのぎ切る感じが豊臣秀吉となる前の羽柴秀吉感があります。最強世代はスター軍団、つまり織田家家臣団と被ります。中でも秀吉は、その一員でありながら鳥取攻めでも一歩先を行くし、仲間を最後出し抜いて頂点への道を歩んでいくわけですね。
オグリキャップは志らく師匠の想い出の1頭ということですし、僕は生まれていないけれどもちろん名前は知っています。秀吉のイメージが重なったのは、名馬も戦国武将も基本的には良血揃いである中で木下藤吉郎は武家の出ではないので良血とはいえない訳です。地方から中央に出て勝ち上がっていくオグリキャップの姿は自身に重ねた時に秀吉が好むのではないかと感じたからです。また、オグリキャップのラストランにおける復活は、秀吉に最後の一歩、豊臣の世を作るという夢を達成させる力になったのではないでしょうか。
もしも秀吉の生まれ変わりが、奇跡の復活を遂げるオグリキャップだとするならば、きっと秀吉は日本中のみんなに愛されるアイドルであり怪物、そんな人生を歩みたかったのかもしれませんね。
徳川の世がもたらした幸運とは?!
志らく 有馬記念を優勝した名馬と名将が出会っていたら歴史は大きく変わっていたかと思うとドキドキワクワクする半面、江戸時代が無かったら落語は誕生していなかったかもしれないから歴史が変わっていたら自分は今ここにいないかもしれないのは困りますね。やはり、徳川の世で良かったかな。
伊沢 徳川の時代の中では徳川吉宗は日本の馬産にすごく貢献しました。日本の馬は小さいので牡馬を中心に外国から良血馬を輸入しています。もし吉宗がタイムトリップしてきて今の状況を見たら、涙が出るくらいうれしいんじゃないでしょうか。日本の血統が世界に広がっていく様子にも興奮するでしょうし、何より本人も乗りたがるんじゃないですかね。
戦国武将たちもとにかく馬を大切にしていました。織田家は厩をすごくきれいにして、馬自体の健康状態にも気を使っていました。信長が現代に来ていたら、厩務員さんから色々学びたがるでしょう。馬揃えに連れていくとしたらオグリキャップやゴールドシップといった芦毛馬を選んでいるかもしれませんね。舶来もの好きなのでシンボリクリスエスやグラスワンダーあたりを選ぶかもしれません。信長と秀吉は趣向が似ていますが、秀吉の方がより派手好きなのでサトノダイヤモンドもありかな。家康は地道で実直な馬が好きなので、キタサンブラックやディープインパクトに興味を持った気がします。
もしも自分が騎乗するなら?
伊沢 自分が武将になって有馬記念優勝馬から1頭を選ぶとしたらヴィクトワールピサ。皐月賞を勝ち3歳で凱旋門賞に挑戦するも7着と敗れた後に有馬記念、ドバイワールドカップを勝ちました。要所要所で勝っている感が好きですね。自分も東大を出たけど全然うまくいかなくて。クイズで頑張ってきたけど、あんまり事業がうまくいかなくて。それでも要所、『東大王』で勝てたことが大きかった。
競走成績が似ているのでちょっと親近感が湧きます。なにより、東日本大震災の直後に勝って希望を与えてくれた馬ですね。記憶にも残る輝き方が魅力的ですね。
志らく 私はシンボリクリスエス。結構、験を担ぐところがあるので、02年は天皇賞・秋1着、ジャパンC3着、有馬記念1着だったから03年も繰り返すと。自分の日常の中でも同じことが繰り返し起こることが良くあるので、この馬の成績を見ると自分に似通っているなと感じる部分があります。
伊沢 名馬と名将の出会い・・って夢や妄想が広がって、とても楽しいですよね。馬と人の歴史はとても長く、きっとたくさんのドラマがあったのだと思います。
さて、今年の有馬記念はどんなドラマが生まれるのでしょうか。
志らく 一瞬の出来事や判断、選択で運命が変わったりする。それは、人生も競馬も同じですよね。
今からワクワクしながら、妄想というか予想を楽しみますよ。
■立川志らく(たてかわ しらく)
1963年生まれ、東京都出身。落語家、映画監督(日本映画監督協会所属)、映画評論家、劇団主宰、コメンテーター。1985年に立川談志に入門。1995年、真打昇進。創意溢れる古典落語に加え、映画に材をとった「シネマ落語」でも注目を集める。落語界きっての論客としても知られている。著書に『全身落語家読本』『落語進化論』、新著『進化する全身落語家』(竹書房)などがある。
■伊沢拓司(いざわ たくし)
1994年生まれ。私立開成中学校・高等学校、東京大学経済学部卒業。中学時代より開成学園クイズ研究部に所属し開成高校時代には、全国高等学校クイズ選手権史上初の個人2連覇を達成。「楽しいから始まる学び」をコンセプトに立ち上げたWEBメディア『QuizuKnock』で編集長を務め登録者数195万人を超える同YouTubeチャンネルの企画・出演を行う。TV出演や講演会などクイズプレーヤーとしてマルチに活動中。
HERO IS COMING.彼は一番きれいで、一番光っていた
2013年有馬記念 オルフェーヴル
ラストランに相応しい名演ぶりだった。後方から勝負どころで一気に加速したオルフェーヴル。直線入り口で先頭に立ち、最後は8馬身差の独り舞台。最強で最高のフィナーレを飾った。
有終Vの4日前。生涯ラストの追い切りで露呈した迫力を欠く動きに〝オルフェ不安説〟がささやかれた。実際、池江師も「80点ぐらい」とジャッジ。完璧な出来ではなかったことは間違いない。記者の予想も◎ウインバリアシオン、○オルフェーヴル。勝つのは厳しいと感じた。が、結果は見事な圧勝だった。「ビックリという感じ」とトレーナーも驚きを隠さない。
大胆な〝ひとまくり〟は、馬への信頼がなせる騎乗だ。池添からこう聞いたことがある。「ジョッキーを辞めたいと思ったのは、阪神大賞典と天皇賞・春の時」。制御不能となったG2に、原因不明の大敗を喫したG1-。しかし、人馬は深い谷を乗り越えて強くなった。非情の乗り代わりで凱旋門賞をテレビ観戦する悔しさを味わっても、ヤンチャな相棒を信じ続けた。
当時、騎乗前の池添は緊張をほぐすためにMr.Childrenの『GIFT』をよく聞いていた。暮れの舞台に立った栗毛馬は〝一番きれい〟で〝一番光って〟いた。贈り物として永遠に語り継ぎたいヒーローだ。
当日までのワクワク感と緊張感をいつも以上に長く味わっていたいと感じる。それが有馬ウイーク。天気、展開、枠順、体調といったさまざまなファクターから正解を探る…1年で最も楽しい7日間かもしれない。さあ、今年はどんなドラマが待っているのか-。
近年は3歳馬や牝馬の活躍が目立ち、さらに、過去10年の勝ち馬のうち5頭が父か、祖父が有馬優勝馬といったデータも。イクイノックスの父はキタサンブラック。そして、ボルドグフーシュの祖父はグラスワンダーだ。個人的にはデータ派ではなく徹底取材派だが、どちらも3歳馬という点は見逃せない。クリスマス当日に行われる今回、その走りがファンの心に刻まれますように-。(デイリースポーツ 井上達也)
