絹代さん、芳雄さん…走馬灯のように記憶が甦る

 1970年代、私はいい時代にデビューできたと思います。連載の最後に当時を振り返ってみると、走馬灯のように数々の記憶がよみがえってきます。

 映画「サンダカン八番娼館 望郷」(74年)では田中絹代さんが「洋子ちゃんは私が『伊豆の踊子』やった時とよく似てるの」と言ってくださった。当時60代の大女優でありながら、まだ駆け出しの私の癖を盗もうと、若い時代を演じた私のラッシュを全部見たそうです。努力家でした。

 NHKドラマ「旅は終わったのですか」(78年)で“珍道中”をさせていただいた佐分利信さん。東映で「日本の首領」を撮影されている時に京都から沖縄まで船で来られました。与那国島で“おてもやん”を踊りながら人生を語るシーンを覚えています。

 映画「反逆の旅」(76年)で共演した原田芳雄さんのコンサートに呼ばれて歌ったこともあるんですけど、会う度に「洋子はあの時太ってたよなぁ」って、からかわれました(笑)。映画「さらば箱舟」の撮影でキスシーンの後、困ったように下を向いて動かなくなった原田さんを思い出します。麻雀では大三元であがっても4回やって最後はビリだったり(笑)。そんな一面も忘れられません。

 関西テレビで放映された阪急ドラマシリーズ「売れっ子女房」(79年)で私の夫役だった夏夕介さん。こんなきれいな男の人が世の中にいるのかと見とれてました。撮影が済むと、宝塚ホテルのプールで泳いだ後、当時、はやっていたインベーダーゲームをやりに深夜喫茶まで行ったり…。

 NHKの朝ドラ「北の家族」(73年度)がテレビドラマデビューとなった西田敏行さん。後にスターになってからも、偶然、日比谷で私を見かけ「洋子ちゃ~ん」と遠くから呼びかけてくれました。気さくな方です。私が小説で新人賞を頂いた81年。紅白歌合戦で審査員だったのですが、西田さんも「もしもピアノが弾けたなら」で初出場されたんですよ。番組終了後、ホールの外で「よかったねぇ」と抱き合ったことを覚えています。

 あれからずいぶん時間が経ちました。もう出演する機会はないと思っていましたが「八重子のハミング」(来春公開予定)という映画に思いがけず抜てきされました。私は認知症という難しい役どころ。夫役の升毅さんが献身的に介護してくれて…升さんに救われた感があります。チャンスがあればまた演技に挑戦したいですね。ご愛読ありがとうございました。(おわり)

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