文庫本を持って私の部屋をノックされた寺山修司さん

 劇作家、演出家、映画監督、歌人、詩人、競馬コラムニストなどとしてマルチな才能を発揮された寺山修司さんが最後に監督された映画「さらば箱船」(1984年公開)に出演しました。81年に小説「雨が好き」で中央公論新人賞をいただいた後だったので、やむなく私は内緒で、次回作の原稿を持って沖縄ロケに行ったんです。事務所からは止められていたんですけどね。

 寺山さんはもうこの頃体調が悪く、1日1シーンぐらいしか撮れませんでした。だから俳優陣には時間があり、那覇の街に出かけてみたり、石橋蓮司さんや原田芳雄さんと宿舎で麻雀もできました。そして夜になれば、こっそり自分の部屋で原稿が書けるのです。原稿用紙を何枚も広げていたある夜、トントンと小さくノックの音がして、誰かと思ったら寺山さんが立っていました。

 「これ、僕が書いた本だけど、洋子ちゃん、よかったら読んで。つまんなかったらゴミ箱に捨ててもいいから」。照れくさそうに、ぽそっと差し出す寺山さん。ご自身の著作「さかさま世界史 英雄伝」などの文庫本を手に持てるだけ持っていたのです。それはというのも「ひとりぼっちのあなたに」という、宇野亜喜良さんのイラストが大きく載った寺山さんの本を、私が好きだ好きだと、そればかり言っていたからでした。

 でも私は内緒で原稿を書いているから、寺山さんに部屋を見せられなかった。今思えば、撮影中のことなど気にせず、入っていただければよかったんです。「私、原稿用紙にこんな字でこんなふうに書いてるの」なんて言えば、寺山さんは興味を持って「僕はね~」なんて、何か書いてくださったかもしれない。惜しいことしたな~(笑)。

 当時、私は歌っていました。80年公開の映画「四季・奈津子」のイメージソングになった歌、私が作詞したもので、「あなたが両手広げて作ってくれた海に 泳ぎ疲れて眠れば それで幸せだった」ってロケ中に口ずさんでいたら、寺山さんは「それ、いい歌詞じゃない」と言ってくださった。また、「小説を書いた女優さんを使ってみようと思うのは僕くらいのもんだよ」とも、言われていました。寺山さんは「さらば箱船」公開前年の83年に亡くなってしまいました(享年47)。

 寺山監督の映画「草迷宮」(78年)でデビューした三上博史さんは「洋子さん、僕は寺山の世界を引き継いでるよ」と、近年お会いした時に言われました。寺山さんの魂は今も生き続けています。

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