大河ドラマ「豊臣兄弟」太閤記、武功夜話に見る墨俣築城ー秀吉は本当に敵地に城を築いたのか? 識者語る

 大河ドラマ「豊臣兄弟」第8回は「墨俣一夜城」。今回は秀吉によるいわゆる「墨俣一夜城」の築城が描かれました。秀吉の一代記『太閤記』には秀吉は敵地(美濃国)に城を築くことを主君・信長に願い出るのですが、秀吉による城作りは描かれていません。美濃国に城を築くことに関して大きな役割を果たしたのは織田信長のように描かれているのです。

 更には敵地のどこに城を築いたのか、城名なども『太閤記』には記されていません。ただ、築城した後に信長はその城に秀吉を入れ置いたとあるだけです。信長は秀吉を城に入れ置くに際しても、事細かな指示(例えば、部下に対して依怙贔屓することなく、誠意を尽くせ等)を与えています(『太閤記』)。

 『太閤記』とは対照的に秀吉の墨俣築城の活動を描いているのが『武功夜話』(尾張国の吉田家に伝わる先祖の武功を記した古記録。偽書との説もあり)です。同書によると、永禄9年(1566年)、秀吉は美濃国の墨俣に築城するため出陣することになるのですが、その際の出立ち(黒革染尾張胴の具足)や城の用材の運び方まで詳細に記述されています。

 秀吉に協力を約した前野氏の手の者が雨脚が強まる中、墨俣に「馬柵」を先ずは取り付けたとあります。夜中も休まずに作業が続けられ、明け方にはその作業が完了したとのこと。同書にはとにかく雨降る中、昼夜休まずに(泥に塗れながら)城を構築していったとの記述が散見されます。

 敵方(美濃斎藤氏方)は鉄砲を放ってきたようですが、秀吉側は敵が打ち掛かってきてもそれに構わず普請せよと触れ回っています。こうした努力によって城作りは成就し、信長は墨俣城に入城することになります。

 『武功夜話』に詳細に描かれている墨俣城築城ですが、同城築城は二次史料にしか見えず、疑わしいものとされています。ちなみに信長の家臣・太田牛一が記した『信長公記』にも秀吉が美濃に城を築いた等とは書かれていません。

(主要参考文献一覧)

・濱田浩一郎『秀吉と秀長 天下統一の軌跡』(内外出版社、2025年)

(歴史学者・濱田 浩一郎)

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