曙さんが明かした同学年力士の相次ぐ死、早世した元マネジャーは弓取り力士だった 今場所注目の弓取り式

 大相撲の本場所で結びの一番後に行われる弓取り式。原則として幕下以下の力士によって行われるが、開催中の夏場所では33年ぶりに関取経験者(元十両の幕下・朝乃若)がその役を務めて話題になった。各界の歴史において数多くの力士が登場した中、今年4月に亡くなった元横綱・曙太郎さん(享年54)は自身の元マネジャーで、夭逝した元幕下の弓取り力士・高見若清一さんの存在を語っていた。

 高見若さんは曙さんと同じ1969年生まれ。新潟県出身で最高位は西幕下12枚目。92年秋場所から引退する95年秋場所まで3年間の長きにわたって弓取りを務めた。その姿は大相撲中継の最後に映し出されるため、「午後6時前に弓を回しているお相撲さん」として有名な存在だったが、引退から1年後の96年10月に26歳で急逝した。

 「同い年だけど、(東関)部屋では2年先輩。『若さん』と呼んでいた。引退後はこちらからマネジャーをお願いして快く受けてくださった。そばにいてくれると安心でしたよ。ところが、1年後の秋、若さんが『すみません。腰が痛いんです』って病院に行って、そのまま入院して、あっという間に亡くなった。すぐ駆け付けたけど、遅かったです。何万人に1人という病気だったらしい」

 2011年にデイリースポーツ紙面で連載した企画の取材中、そう語った曙さん。「人生って何が起こるか分からない。若さんの葬式では親御さんの話す内容が全く分からなくて…。親が子どもを墓に入れるって順番が違ってる。見てられなかったですよ、かわいそうで。俺も泣くのを通り越して、回りの人たちの言葉も理解できなかった。悲しみで頭がおかしくなっているのか…。あの時は、つらかったですね」と述懐した。

 もう1人、同部屋の力士が若くしてこの世を去っていた。岡山県出身の元序二段・高見東寿美男さん。70年3月生まれで、曙さん、高見若さんとは同学年。曙さんは高見東さんを本名で「井村君」と呼んでいた。

 「同期の井村君は、僕が入門した東関部屋で最初に日本語や相撲のしきたりなど、すべてを教えてくれた人。肺が空気を取り込めなくなるという何万人に1人の病気で亡くなりました。その病気より以前、俺が十両に上がった頃でしたが、井村君が『首が痛い』と訴え、その後で左半身マヒになって入院したことがありました。見舞いに行くと、ベッドの上で足と首を引っ張られ、ちょうど体が宙に浮いている状態。ショックだった。場所中も毎日、病院に行ったんだけど、千秋楽の日に行くと、いくら呼んでも、体を揺すっても動かない。後から息を吹き返した本人に聞くと『曙君が来てるのを僕は上から見てた』って言うんだよな。『関取にあそこで起こされなかったら、そのまま逝ってましたよ。三途(さんず)の川を見てきました。いいにおいがした』って。22~23歳で聞く話じゃないですよ、ほんとに」

 闘病中も、曙さんは東関親方(元関脇・高見山)に「(高見東を)辞めさせないでくれ」とお願いしたという。「辞めて保険がなくなったら井村君も治療できないからね。彼には恩義があったんです。入門当時、休暇中もハワイに帰れない俺を岡山の温泉街にある実家に連れて行ってくれた。それを思うと彼の死もつらかったです」

 そして今年、曙さんもこの世を去った。「仲間の死…。つらいことがいろいろありましたけど、人生、悪いことばかりじゃない」。悲しい話の中でも、その言葉に救われた。今頃は、天国で同い年の盟友たちと再会しているのだろうか。今場所の弓取り式を見ながら、ふと、脳裏をよぎった。

(デイリースポーツ/よろず~ニュース・北村 泰介)

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