希少疾患公表の米良美一が明かす人生の葛藤 身長伸びず、骨折多発のハンディ イブの青空に熱唱

 スタジオジブリの長編アニメ映画「もののけ姫」(1997年公開、宮崎駿監督)の主題歌で一世風靡(ふうび)したカウンターテナー歌手の米良美一(51)が24日、都内で開催された希少疾患啓発イベント「希少疾患と社会、私たちが気づきあうためのヒント」(アレクシオンファーマ主催)に、フリーアナウンサー・小島奈津子(54)らと出席した。快晴となったクリスマスイブの青空の下、米良は名曲「ホワイト・クリスマス」を熱唱後、希少疾患の当事者として、ハンディキャップを背負った人生での葛藤や近況、新年に向けた思いを吐露した。

 米良は「私の生まれながら抱えている難病は骨の病気でして、だいたい2万人から3万人に1人と言われている『先天性骨形成不全症』です。身長が伸びないということ、ちょっとした事で簡単に骨折を繰り返すんです。足首とか膝などの関節が非常に緩いんですね。実は1年半くらい前には左足の靱帯(じんたい)が切れて、今も装具を付けていないといけない。高齢になってくると骨折が多発するということなので、いつまで、きらびやかな衣装で皆さんの前に出られるか分かりませんけど、今を感謝して貪欲に生きてます」と打ち明けた。

 小島から「ご病気を公表されたのが今から十数年前。勇気がおありになったのでは」と問われた。米良は「公表は並大抵なものじゃなかったですが、インターネットも今ほど盛んではなくて皆さんの声を聞いたりすることがなかった分、まだ救われていたかもしれない。それでも自分自身の中で怖い気持ちが広がって、体がガチガチに固まって、声も出なくなって、そういうところで、なかなか自分を受け入れることはできなかったですね。徐々に雪解けのようにして、30代はそこに全部の時間を使いました。ありのままの自分を受け入れること、私が至らなかった反省も受け止め、心を入れ替えて前向きに生きていこうと思えるようになったのは40代になってからでした」と告白した。

 「見た目の特性から、いじめとか差別的な言葉をいただいたこともありました」という米良。「私は自己主張が強くて我が強めの人間だったので、負けじと言い返していました。障がいがあってもおとなしくしていれば反感を買うこともないのですけど…。それで私を黙らすためにグサッとくることを言われたり、子どもの頃に私の横に来て『背が低い』というポーズをやられた記憶とかがよみがえったり。宮崎駿さんという偉大な方からのオファーをいただいて、世間様の前で歌わせていただくと、特徴ある外見と、声まで変わってますから、『あの人は難病を持っているんじゃないか』と思われているんじゃないかとか、いろいろ私の中で恐怖に感じるような部分はありましたね」と振り返った。

 そこで救いの手を差し伸べたのが大先輩のタレント・黒柳徹子(89)だった。米良は「『もののけ姫』の頃は20センチあるヒールの靴を履いていました。黒柳徹子さんに(モノマネしながら)『まぁ、あなたにね、素敵な靴を作っていただけるところがあるの』って教えてくださり、さっそく、都内にあるシューズ屋さんに特注で作っていただいて、それを履いて。ほとんど花魁(おいらん)道中でしたけどね」と明かす。

 米良は「公表したら嫌われるんじゃないかとか、芸能人として活躍できないんじゃないかというネガティブな妄想にとらわれていました。開き直るというのともまた違うんですけど、世の中、どんな立場の人でも、それぞれ悩みとか不安を抱えながら生きているので、そういうことがお互いにオープンに言えたり、察したりということができる世の中になっていくことが大事なんじゃないかと。『弱者』と呼ばれる立場の人でもすごく強気な人もいるし、以前の私もその一人なんですけど。だから、みんな同じです」という。

 2014年12月にはくも膜下出血で倒れた。米良は「くも膜下出血から8年。靱帯も継続的にリハビリしながら、なんとか杖をつかなくても舞台に立てるようになりました。とにかく今年を終われるということでホッとしています。小さな体ですが、できることで世の中の皆さんを元気づけたい。来年はみなさんのお許しがいただけるならば、大きな花火を打ち上げるくらいのヒット曲の仕事が舞い込んできたらいいなと。うさぎ年ですので、私個人は飛び跳ねることができない体ですが、ぴょんっとひとっ飛び、いい仕事をして活躍したいです」と前を向いた。

(デイリースポーツ/よろず~ニュース・北村 泰介)

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