「ゴジラの同級生」宝田明さん追悼 不死を思わせるスターの最後が意味するもの

 映画の黄金期を支えた87歳の俳優が物故する。それはもう十分「長生き」の領域に入っているのは言うまでもない。それでもやはり、宝田明の逝去には、あらためて驚かされた。

 俳優として主演映画『世の中にたえて桜のなかりせば』も待機していたという「現役」感。積極的な自己プロデュースによる文化活動。

 日本人離れした大振りなジェスチャーを違和感なく成立させる、老いを感じさせないオーラも含めて、筆者は宝田をどこか「不死身な人」と思ってしまっていた感さえある。

 だから訃報を聞いたとき、これほどの人でもやはり最後の時がやって来るのだと、あらためて、現実に引き戻された気がした。

 宝田は最後まで映画ファンを大切にした人でもあった。インタビュー集『銀幕に愛をこめて -ぼくはゴジラの同期生』は、宝田自身が自作を観に来た名画座で出会った、フリーペーパー「名画座かんぺ」の発行人である、のむみちとの間で生まれた本だった。

 そんな刊行の経緯もまた、雲の上のスターでありつつ我々の隣にいる等身大の人間・宝田明を表しているようだ。

 宝田は、かつての出演作を見て育った世代からのオファーにも応え続けてきた。たとえば『明日にかける橋 1989年の想い出』(2018年、太田隆文監督)での役どころは、平和の大切さを説く戦争の語り部であり、昭和から平成へと移り変わっていく時代を舞台に、彼からすれば若い世代が織り成すドラマを見守るポジションであった。それは近年、宝田本人が精力的にマスメディアの取材に答え、かつて歩んだ戦争への道のりを日本がふたたびたどることに警鐘を鳴らしている姿と重なり合うイメージを持っている。

 ゴジラ映画を観て育ち、原発の危険と日本人はどうあるべきかに真正面から向き合った映画『朝日の当たる家』(2013)を怪獣映画の文法で作ったという太田隆文監督にとっての宝田像がそこには窺えた。

 筆者もまた怪獣映画で感性を育まれた一人だが、宝田の主演第一作でもある、『ゴジラ』第一作で、戦争の影というドラマを背負っていたのは平田昭彦演じる芹沢博士の方であり、宝田演じる尾形は、むしろそうしたものを払拭した戦後の前進性が担わされていたように思う。あるいは、和製007として作られた『100発100中』(1965)でのおよそ生活感というものとは切り離された、虚構性に徹した明るいキャラクターは宝田の身上のように感じられたものだ。

 だから役と本人が違うのは当たり前とはいえ、一点の曇りもない青年像を体現していた俳優が、自らは満州で日本国家に見捨てられ、ソ連に侵攻された中で生き延びていたことを知った時は、いささか驚いたものだ。

 宝田の半生を振り返った本は先述の『銀幕に愛をこめて』含めていくつか出版されているが、それらを読んでも、明暗のコントラストが読む者を立ち眩みさせる。戦争中の苛烈な体験と、戦後の芸能界での煌びやかな世界が、同じ一人の人間をめぐる環境だとは!……という思いに駆られるのだ。

 否、その芸能生活自体も、撮影中の事故で負った、一歩間違えれば死につながる幾多の傷を抱えながらの精進であったこともわかる。

 ゴジラも一作目と、十年後に再び主演した『モスラ対ゴジラ』(1964)では、宝田の印象がだいぶ異なる。やや硬さがありながら青年のまっすぐな心情を伝えてきた初代『ゴジラ』の尾形役に対し、『モスラ対ゴジラ』の酒井役は、その洒脱さ、軽みを帯びた演技にこの俳優が身に着けてきた芸歴の豊かさを感じ取ることが出来る。

 そして、宇宙飛行士としてアメリカ人俳優ニック・アダムスと息の合ったバディ演技を見せる『怪獣大戦争』(1965)や、一転して、金庫破りなれど心に「浪花節」の部分を持つナイスガイを演じる『ゴジラ エビラ モスラ 南海の大決闘』(1966)と、東宝娯楽映画としてのゴジラシリーズの明るさ健全さをまさに担っていくことになるのである。

 それは、デビュー時期から歌うこととは親和性があった宝田が、舞台経験を踏むことでエンターテイナーとして磨きをかけてきたがゆえに醸し出せるものだった。

 また香港との合作では、大陸で育った自身の出自が映画内でのコスモポリタンな立ち位置を再確認したと自伝で語ってもいる。

 自身が戦争体験者であった宝田は、同じく東宝特撮映画の『世界大戦争』では、最終戦争下に生きる青年の姿を演じた。星由里子演じる恋人とモールス信号で最後の言葉を交わし合うくだりを憶えている人もいるだろう。

 映画の中の宝田明は、未来に起こるかもしれない終末戦争の生き証人でもあったのだ。

 翻って現在、東西関係すらも過去のものに思っていた我々の足元をひっくり返すように、現在としての「戦争」が浮上している。宝田がそのことを知らずに亡くなったのではないことに、やはり運命的なものを感じてしまう。

 訃報を知った日、たまたま訪れた都内の名画座ロビーの壁に、宝田が残したサインがあったのを発見した。昨年9月に来館した時のものだ。自身の名前の横に「ゴジラ」と大きく書いていたが、その文字は黒と赤の2色で描かれ、血を流しているようにも見える。筆者は、そこにもまた、まだあまりにもなまなましい宝田の生きた痕跡を感じた。

(ライター・切通 理作)

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