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元大関・貴ノ浪急死 若貴時代に活躍

 大相撲の元大関貴ノ浪の音羽山親方(本名・浪岡貞博=なみおか・ただひろ)が20日午前10時55分、急性心不全のため大阪市内のホテルで死去した。43歳だった。196センチの長身を生かした豪快な取り口で幕内優勝を2回、大関に37場所在位した。通夜は21日午後7時、葬儀・告別式は22日午後0時半から名古屋市守山区苗代2-1812、平安会館守山斎場で。喪主は未定。

 現役時代の大関貴ノ浪は196センチの長身を生かして引っ張り込み、肩越しにまわしをつかんで豪快な上手投げ、さらに意表を突くかわず掛けも繰り出す。若貴フィーバーに沸いた90年代前半の大相撲界で、豪放磊落(らいらく)な取り口と気の利いたコメントで特異なキャラクターを確立。2回の幕内優勝は、いずれも同部屋の横綱貴乃花との優勝決定戦を制してつかんだものだった。

 元大関貴ノ花の藤島親方(当時)にスカウトされ、1987年3月に藤島部屋に入門して初土俵を踏んだ。1年後には師匠の息子である若花田・貴花田兄弟が華々しくデビュー。スピード出世で瞬く間に関取に昇進した。兄弟から1年以上遅れて十両に昇進、本名の浪岡から貴ノ浪と改名したものの、高い潜在能力を評価していた師匠は「上がるのが1年遅い」と辛口だった。

 それでも入幕後は順調に番付を上げ、94年1月場所後に武蔵丸(現武蔵川親方)と同時に大関に昇進。一時は横綱の期待もかかったが、足首や腰の故障を抱え、00年5月場所に大関から2度目の陥落。04年5月に現役を引退して年寄・音羽山を襲名した。

 貴乃花部屋で後進の指導にあたっていたが、現役時代から心臓に持病があり、06年1月場所直後に心房細動、敗血症などで緊急入院。一時は心停止で生命も危ぶまれたものの、手術を受けて容体が安定し3月に退院した。ことし2月からは貴乃花一門から初めて審判委員に起用され、土俵下から勝負判定に鋭い目を光らせていた。

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