“破壊王”橋本真也が急死 まだ40歳 死因は「脳幹出血」と代理人発表

 【2005年7月12日デイリースポーツ紙面】

 “破壊王”の愛称で親しまれた人気プロレスラー、橋本真也さんが11日午前10時36分、横浜市内の横浜市立大付属市民総合医療センターで亡くなった。40歳だった。岐阜県出身。死因について、橋本さんの代理人側は「脳幹出血」と発表した。橋本さんはこの日朝、横浜市内で倒れ、救急車で同病院に搬送されたが、すでに心肺停止状態で、間もなく死亡が確認された。フリーの立場で今秋のリング復帰を目指していた矢先の無念の死となった。 破壊王、死す―。現役トップレスラーの急死。あまりにも突然で、衝撃的な訃報(ふほう)がプロレス界に激震を走らせた。

 橋本さんの代理人側は11日夜、横浜市内で緊急会見。橋本さんはこの日朝に「横浜市内の自宅」で倒れ「午前10時36分に病院で死亡が確認された」と発表した。急死に至る経緯について、代理人側は「最後に会ったのは6月30日。状況は把握していない」と明言を避けた。岐阜県から会見に出席した妹の真生さんは「母が脳出血で亡くなり、橋本本人も気にしていた」と体調に不安を抱えていたことを明かした。

 橋本さんは「遅くても今秋、復活する。レスラーとして数年で負債を完済する力はある」と意欲を示したが、ZERO―ONE崩壊で抱えた1億円を超える負債には「相当な心労があったと思う」(代理人)という。代理人側は、橋本さんが今年3月25日に離婚していたことを明かし、真生さんが喪主を務める。

 遺体が仮安置された病院に駆けつけた闘魂三銃士の盟友で新日本の蝶野正洋は「先週、本人に“体調が悪い”と聞かされた。“心臓が悪い”とも」と証言。新日本の坂口征二相談役は「10月の東京ドーム大会に彼の名が挙がっていた。復帰戦は新日本でやってほしかった」と唇をかんだ。

 格闘技に押されてプロレス人気が低落する中、1990年代に一時代を築いた橋本さんはプロレス再興の起爆剤となるべき人物の1人だったが、結果的に、昨年8月31日のZERO―ONE岩手・盛岡大会がラストマッチとなり、二度と再び、その勇姿をリングで見ることはできなくなった。昨年末に右肩手術に踏み切り、05年中の現場復帰を目指していたが、志半ばで橋本さんはあの世へと旅立った。想像を絶するプレッシャーが、橋本さんの心身をむしばんでいったのかもしれない。あまりにも惜しまれる死だった。

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