大村崑 戦後、米兵とけんかの日々を送った…レンガで頭殴られ血だらけに

 俳優・大村崑(86)は柔和な笑顔も手伝って今も「崑ちゃん」と親しまれる。しかし、戦後間もない若かりしころは米兵相手に一歩も引かない“けんか太郎”だった。自分より体の大きな相手に勝つ極意を崑ちゃんが熱く語った。他方、女性にはちょっとおくてだったために、9年間付き合った女性と悲しい別れを経験した。崑ちゃんの元気はつらつ人生第3回は米兵とのけんかの日々を。

 -前回、オロナミンCのCMで、「元気はつらつ!」というフレーズを言うことに少なからず抵抗があったと。

 19歳の時(1950年)に肺結核で右肺をとったんです。高校生のころは長距離を走っていたけど走れなくなった。医者からは「40歳まで生きられない」とも言われたんです。

 -でも、けんかはしていたんですよね。

 股間をけるの好きやったからね。どんな大きな男が来ても倒すんです。黒人とけんかしたこともある。でも、米兵2人に襲われた時はぼこぼこにされたな。三宮にあったクラブ「新世紀」で僕はボーイをしていて、お客さんからもらったチップを全部、靴下に入れてたんです。せっかくもうけたお金をとられないように。3000円か4000円くらいやったかな。兵隊が胸のあたりをチェックしてくるからね。だから、お金は靴下に隠していたんです(人事院が公表している1951年の大卒国家公務員の初任給は5500円)。

 -チェックというのは米兵が日本人の体を調べてお金を持っていたら脅し取っていた。

 「新世紀」での仕事を終えて夜中に店を出ると米兵が付いて来るんです。僕らボーイがチップを持っているのを知ってるからね。昔の国鉄三ノ宮駅から電車に乗って自宅があった兵庫駅で降りるでしょ。あたりは暗い。闇の中で襲われる。下級兵士はカネを持ってる日本人を狙うんです。

 -戦争に負けるというのは恐ろしい。

 おれよりごっつい大きい黒人。そいつにレンガで頭を殴られて血だらけになったことがあります。

 -殺意がある。

 そうやね。1人は股間をけって気絶させておまわりを呼んできてもらった。日本で初めてピストルが導入された頃やったから、おまわりもピストル持ったのはええけど震えてんねん(いすから立ち上がり、両手でピストルを持つしぐさをして全身を震わす熱演)。「おれに向けてどうすんじゃ!あっちじゃ!」って(笑)。おれが血だらけやから犯人と思われた。あっちが犯人や!って。

 -今の師匠の動きに喜劇人を見ました。めちゃ面白かったです。

 ありがとう。有名な人の股間をようけったよ。あれの痛さはね。

 -だれの股間を。

 それは言われへん。遺族に申し訳ない。

 -戦後間もない混乱の時代とはいえ破天荒というか。

 でもね、肺をとる手術を終えた後、ぶらぶらしてたらあかんということで貿易会社に務めるようになりました。そこで出会った女性と9年付き合った。逃げられたけど。「ようこ」という名前でした(笑)。

 -奥さまと同じ名前。

 字は違う。妻は瑤子さんで、こちらは洋子さん。結婚しようと言っていたんです。肉体関係もない恋人。映画館に行っても手も握らない。指が触れても手を乗せることはできない。そんな付き合いだった。ラブレターばっかり。

 -洋子さんに逃げられたというのは(第4回に続く)。

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