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杉山清貴&オメガトライブ(4)

 「ふたりの夏物語」は、杉山清貴&オメガトライブにとって最大のヒットになりました。この頃になると人気も不動のものとなり、コンサートも大盛況。JALのキャンペーン・ソングというヒットの「指定席」を得てのリリースでしたから、制作も大変でした。

 ♪オンリー・ユー君にささやくふたりの夏物語~というキャッチ・コピーを手渡され、一日で作り、一日でアレンジし、一日でオケを録音しました。杉山さんもツアー先からとんぼ返りして歌入れを済ませました。スタジオではCM関係者が出来上がりを待つという電光石火の制作過程で、最も時間をかけない最大のヒットという皮肉な結果でした。

 プロデューサーの藤田浩一さんから、杉山さんに脱退の意思があると聞いた時は「あ、来たか」と思いました(実際はメンバー合意の解散)。1985年、6枚目のシングル「サイレンスがいっぱい」、アルバム『ANOTHER SUMMER』も大ヒットし、文字通り順風満帆の時期でしたから残念と言えば残念でしたが…。

 ただ、予測はしていました。なぜならオメガトライブは、プロデューサーを中心にしたプロジェクトの体をしていたからです。バンドは名付けられ、作品は準備され、演奏はスタジオ・ミュージシャンの演奏をなぞる。ビジュアルイメージは絶えず「海」「夏」「リゾート」がつきまとう。彼らはある意味プロとして完璧にバンドを「演じた」と思います。そして疲れていた。私だったらこのシチュエーションで活動することはできません。アーティストとしてアイデンティティーを持っていれば、当然の結果でしょうね。

 私はプロデューサーとアーティストのはざまにいて双方の気持ちを理解できました。しかしこのままピリオドを打ってしまうことは、大きく関わっている自分としては納得していなかったので、ある夜、杉山さんと会いました。しかし彼の意志は固かったですね。そこでファンのためにも最後の作品は残すべきだという話をし、後日その話をプロデューサーにつなぎました。

 結果、最後のシングル「ガラスのPALM TREE」に続き、私が提案したタイトルのアルバム『FIRST FINALE』がリリースされました。同名のツアーでファンに別れを告げ、杉山清貴&オメガトライブは、およそ2年間の短い活動にピリオドを打つことになりました。

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