一番の“追っかけ”だった僕の肝っ玉母ちゃん

 ここまでは私の交遊録的なお話が多かったのですが、ここで私のルーツについてお話したいと思います。

 私は父・橋作太郎と母・サクの間の9人兄弟の末っ子として、1943(昭和18)年5月3日に誕生しました。一番上の兄とは24歳差ですよ。子供のころは9人の兄弟が年齢別に3つのグループとなり、そのグループ内で面倒を見るという感じでした。当然、家の中はにぎやかでしたね。食事も毎日、11人が一堂に会して食べていましたね。典型的な昭和の家族ですね。

 実家は染め物屋、そして着物屋と商売をやっていました。母は9人もの子供を産み、子供を育てながら商売していた。いろいろガミガミ言うタイプの父親と兄貴たちの間に入って家族をまとめ、お店に立てば、お客さんの対応も上手。そんな“肝っ玉母ちゃん”でしたね。

 母は1901(明治34)年12月24日生まれ。僕を産んだ時は42歳でした。遅く生んだ子供だったので、とてもかわいがってくれました。レッスンに通わせてくれるなど、歌手になる道筋をつけてくれたのも母でした。

 デビューしてからも、僕のステージを見に来て、ステージ衣装の着物を作って。また、私を抜きでファンの方とも交流して。今思えば、僕の一番身近にいたファンであり、一番の追っかけだったですね。僕のことは、人生の後半の生きがいだったのではないかな。

 そんな母も、70代後半に認知症を発症しました。母の介護生活は「お母さんは宇宙人」などの著書にもなりましたが、最後は僕の顔も忘れてしまうまでになってました。

 そんな母が残してくれた忘れられない言葉があるのです。

 「僕は弁が立つ。おしゃべりが上手」な点を心配していて、「あまり人のことは言うなよ」「口は慎みなさい」と言われました。「口は災いの元」というとですね。あまりズバズバ言い過ぎて、誤解を生むことを心配していました。

 母は90年5月8日に心不全のため88歳で死去しました。でも母のこの言葉は、今でも心に刻んでいて、常に気をつけています。そして定期的に墓参りに行き、墓前ではそのことを報告しています。

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