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大原麗子さん孤独死…自宅で警官が遺体発見…難病と闘病中

大河ドラマ「春日局」の制作発表会で笑顔を見せる大原麗子さん
 【2009年8月07日付デイリースポーツ紙面より】


 女優の大原麗子さんが6日、東京都世田谷区の自宅で亡くなっているのが見つかった。62歳だった。大原さんは99年ごろからギラン・バレー症候群を発症し芸能活動を休止。その後仕事復帰したが、昨年11月に自宅で転倒。右手首骨折などの重傷を負い、再休業中だった。人気女優の非業の死に衝撃が走っている。


 女優業の再開を夢見て難病と闘病中だった大原さんの悲報に、衝撃が走った。警視庁成城署によると、大原さんと2週間前から連絡がとれないことを心配した大原さんの弟が、3日に警察に相談。6日午後7時ごろ、弟と4、5人の署員が自宅を訪れ、寝室のベッドであおむけ状態の大原さんの遺体を発見した。


 死因は現在調査中。遺体の腐敗はあまり進んでいないものの、死後数日が経過しているという。自宅の出入り口と窓はすべて施錠されており、事件に巻き込まれた可能性は低く、自殺の痕跡もないという。


 大原さんの死去の報に、午後9時過ぎには自宅前に50人以上の報道陣が集結。周辺には立ち入り禁止の黄色いテープが張られ、警察官が「指紋をとるので、下がってください」と記者やカメラマンを自宅から遠ざけるなど、騒然とした雰囲気。警察官が慌ただしく走り回り、大原さんの遺体を乗せたとみられる警察車両も現場を後にした。


 キュートな魅力で大女優の名をほしいままにしていた大原さんだったが、プライベートは波瀾(はらん)万丈だった。73年に俳優・渡瀬恒彦(65)と結婚するも78年に離婚。80年には歌手・森進一(61)と再婚したが84年に離婚し、バツ2となった。99年ごろには歩行障害などを引き起こす難病のギラン・バレー症候群を発症し芸能活動を休止。03年ごろに一度は仕事復帰したが、昨年10月末に再発。同11月には自宅で転倒し重傷を負い、リハビリ生活を送っていた。今年4月には関係者と「私ももう60になっちゃったしね」と電話で明るく話していたという大原さん。生前、「仕事に関しては、死ぬまで限界がない」と女優魂を燃やしていたが、志半ばで天国へ旅立った。


 大原麗子さんは東京都出身。10代後半に加賀まりこ、峰岸徹らを輩出した、富裕層の子女の集まり「六本木野獣会」のメンバーとして頭角を現したのが、芸能界入りのきっかけだった。


 1964年、NHKの新人オーディションに合格し、ドラマ「幸福試験」でデビュー。65年東映に入社し、高倉健主演の映画「網走番外地」シリーズ、渥美清主演の「男はつらいよ」シリーズなどに出演した。その後、芸能プロに所属し、日本的美人の代表としてテレビ局の好感度調査でも幅広い支持を集めた。サントリーウイスキーのCMでも知られ、和服姿で「すこし愛して、ながーく愛して」とささやくコピーは70年代の流行語になった。


 独特の低い声と落ち着いた演技に存在感があり、映画「おはん」、テレビでもNHK大河ドラマ「春日局」(89年)に主演したほか「獅子の時代」「山河燃ゆ」などで活躍。舞台でも好演した。86年には映画「新・喜びも悲しみも幾歳月」で山路ふみ子賞(女優賞)を受けた。


 私生活では78年に俳優の渡瀬恒彦、84年に歌手の森進一と2度の離婚を経験。森との離婚会見では「仕事をやめたくなかった。家庭に男が二人いた。慰謝料をもらう立場ではない」と語った。

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