紅白7度の演歌歌手・松原のぶえさん急死 10日イベント元気に出演も…13日未明に倒れ救急搬送 79年「おんなの出船」でデビューし各賞総なめ
日本レコード大賞新人賞などを受賞し、NHK紅白歌合戦にも7回出場した演歌歌手の松原のぶえ(まつばら・のぶえ、本名・廣原伸恵=ひろはら・のぶえ)さんが、13日午前5時24分に都内の病院で死去した。65歳。所属レーベルの徳間ジャパンコミュニケーションズが発表した。葬儀は家族、近親者のみで営み、お別れの会等については検討中だという。松原さんは1979年のデビュー年から華々しい活躍を見せ、生涯現役歌手として第一線で活動。一方、私生活では離婚や人工透析、腎臓移植手術といった苦難を必死に乗り越えてきた。
抜群の歌唱力と明るいキャラクター、華やかな笑顔で演歌界をリードしてきた松原さんが、あまりにも急ぎ足で天に召された。
関係者によると、松原さんは13日未明に東京・品川区内のマンションで倒れ、近隣の病院に救急搬送されたが、午前5時24分に死去した。死因は明らかになっていないが、事件性はなく、病死とみられる。亡くなる直前まで仕事を行っており、番組収録にも参加。10日には長崎市内で歌手・大地あきお(47)のコンサートにゲスト出演して元気な姿を見せていた。
松原さんは大分県出身で、両親の影響を受け幼少時から歌手を志望。高校時代に北島音楽事務所にスカウトされて上京した。1979年に「おんなの出船」でデビューし、日本レコード大賞新人賞、日本有線大賞新人賞など各賞を総ナメ。若き天才としてスターダムを駆け上がった。
85年には同曲でNHK紅白歌合戦に初出場し、以来7年連続で出場。演歌界の“顔”の一人として地位を築いた。89年には、日本レコード大賞で女性演歌歌手に贈られる「美空ひばり賞」の第1回受賞者となった。
順風満々な歌手生活の一方で、私生活では紆余曲折が続いた。1992年、事務所のマネジャーだった男性と結婚。仲人は北島三郎が務めた。2002年に夫を社長とする個人事務所を設立して独立したが、03年に離婚。その後は弟・廣原伸輝さんが事務所社長を務めた。
若いころから腎臓に不安を抱えており、人工透析を受けながら活動を継続。09年には腎不全のため、伸輝さんから左腎臓を提供され、約8時間におよぶ腎臓移植手術を受けて回復した。近年もコンサートを中心に精力的に活動しており、17日にはBSフジ「昭和歌謡パレード」(後6・00)の「北島三郎90歳卒寿お祝いSP!」に出演。同局によると、番組は予定通り放送されるという。
◆松原のぶえさんの主な楽曲
発売年月 タイトル
1979・7 おんなの出船
85・6 演歌みち
86・6 涙の海峡
87・5 なみだの桟橋
88・7 男なら
90・5 蛍
91・5 離愁…秋から冬へ
92・2 愛冠岬
93・4 朝顔
94・6 海燕
2004・2 雪割草
