“日本人初”の偉業とその後の人生我が師匠・秋山豊寛氏を偲んで 山本浩之アナコラム
【ヤマヒロのぴかッと金曜日】
じつに不思議な人であった。生放送中、じっと一点を見つめて思い詰めたような顔をしているかと思えば、直後に相好を崩してその場を楽しめる人だった。少年のようなまばたきの後に、全てを達観した表情に戻ることもあった。ひょっとしたら、彼は本当に宇宙人だったのかも知れない。
秋山豊寛さんが亡くなった。日本人として初めて宇宙に行った人だ。本当は宇宙飛行士の毛利衛さんが日本人初になるはずだったが、1986年の米国スペースシャトル・チャレンジャーの事故により計画が遅れたため、ソ連の宇宙船ソユーズに乗ったTBSの“宇宙特派員”秋山さんが第一号となったのだ。
中継回線がつながり、管制センターからの呼びかけに「これ、本番ですか?」と思わずテレビ人らしい返答をしたら、それが第一声となった。秋山さんらしいエピソードだ。
帰還して5年後にはTBSを退社し、福島に移住。宇宙からこの星を見た彼が選んだのは農業の道だった。
シイタケ栽培に始まり、米や雑穀、野菜など30種類を超える農作物を育て軌道に乗ってきたときに東日本大震災で避難を余儀なくされる。やがて大学で教鞭をとるため京都に移り住んだ。
私が彼に出会ったのはその頃で、大阪の情報番組『ちちんぷいぷい(MBS)』で数年間ご一緒した。普段は穏やかでニコニコしているが、原発問題では被災者の一人として当時の民主党政権の対応、そして喉元過ぎて熱さを忘れてしまったかのような自公政権の原発政策には口角泡を飛ばして厳しく指摘をしたし、ベトナム戦争後のハノイをあの新堀俊明さんと共に非共産圏ジャーナリストとして初めて取材した経験から、戦争の悲惨さを強く訴える人でもあった。
とはいえ、大上段に構えて叫ぶわけでなし、誰にでもわかる言葉で解説をしていた姿がとても印象的だった。平たくモノを言うのは簡単そうに見えて実はいちばん難しい。戦争、宇宙、原発事故。数多くの修羅場をくぐり抜けたからこそなせる技なのかもしれない。考えてみれば、秋山さんほど大きな体験をした人はいないのではないだろうか。
そして、私にとって秋山さんは数少ない「畑の師匠」でもある。数年前、彼の住む三重県大台町を訪ねたら、久しぶりに見る屈託のない笑みで私たちを出迎えてくれた。秋山さんの笑顔はなんともステキだ。
福島時代から数えると畑仕事にも相当年季を積んだ彼の農園は美しく整備されていた。初心者の的外れな質問にも丁寧に答えてくれた。
「土と向き合ってるとね。あっ、こうして欲しいんだなってことがそれとなくわかるようになるんですよ。たまにそれが大きな勘違いだったりするんだけどね。ハッハッハ!」
紀伊山地の山深い農家での暮らしを満喫しているかのようだった。自然により身近にいたかったのかもしれない。
「1年前、2年前の同じ日にどんな作業をしていたか。その結果どうだったかを連用日記のように見比べられるよう書き留めておくと、とても便利だよ…」。帰り際、そっと彼は教えてくれた。
秋山さん、、あれからずっと僕も耕し続けてます。今も失敗の連続だけど、土にまみれるって本当に楽しいですね。あなたに負けないくらい生き切って見せますよ。ありがとうございました。合掌
◇山本 浩之(やまもと・ひろゆき)1962年3月16日生まれ。大阪府出身。龍谷大学法学部卒業後、関西テレビにアナウンサーとして入社。スポーツ、情報、報道番組など幅広く活躍するが、2013年に退社。その後はフリーとなり、24年4月からMBSラジオで「ヤマヒロのぴかッとモーニング」(月~金曜日・8~10時)などを担当する。趣味は家庭菜園、ギターなど。
