立花理佐 がん闘病乗り越えられた西村知美、中村由真ら仲間の励まし 新たな夢描く「毎度おさわがせ」でブレークの“アイドル女優”

「アイドルのようなポーズで」とのリクエストに、照れながらも笑顔で応じる立花理佐(撮影・吉澤敬太)
笑顔が絶えない立花理佐
「リサの妖精伝説」のPRで水着姿を初披露した=1988年
3枚

 ドラマ「毎度おさわがせします3」や映画「ビー・バップ・ハイスクール」シリーズで活躍した立花理佐(54)は、アイドルから本格俳優に転身後、結婚、出産、がん闘病と、波瀾(はらん)万丈な経験を積んできた。そのたびに支えてくれたのは、10代のころに出会った恩師や憧れの人、仲間たちだった。

 立花は中学まで大阪の下町で生まれ育った。

 「当時はアイドルと女子プロレスがすごい人気で、私もクラッシュギャルズと河合奈保子さんに憧れていた。小学校の卒業文集には『河合奈保子さんみたいな歌手になりたい』と書いた」

 学校では、友達とオーディション雑誌を読んでは「どのオーディションを受ける?」と相談する毎日。芸能界入りのきっかけとなった「ロッテCMアイドルはキミだ!コンテスト」も幼なじみと一緒に応募する約束をしていたが、エントリーを忘れてしまう。怒った友人が立花の家に乗り込んできて、アルバムにあった写真を勝手に送ると、グランプリを獲得してしまった。「絶対、締め切り過ぎていたはずなんですけどね(笑)」

 芸能界入り後も奇跡は続く。TBSであいさつ回りをしていたときのこと。「ドラマの出演者が降板したと大騒ぎしているところに、たまたま私が目の前にいて『この子でいいんじゃない?』って。お芝居もしたことないのに本番は2週間後。そのまんま大阪に帰れなくなっちゃった」

 そのドラマこそ「毎度おさわがせします3」。中山美穂さんが主演した人気シリーズの続編だった。ドラマさながらのハチャメチャなヒロイン決定劇でブレークすると、映画「ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎音頭」で銀幕を飾り、アイドル女優路線をひた走った。

 歌手としてもシングル「疑問」でデビューし、日本レコード大賞最優秀新人賞を獲得。「みんな仲良かった。音楽番組の楽屋が遊び場みたいだった」と懐かしむ。その後は所属事務所の意向で本格的な演技の道に進み、松方弘樹さん、石立鉄男さん、芦屋雁之助さんら大御所とも共演。かわいがられながら芝居の奥深さを教え込まれた。

 2000年に結婚、04年に長男が誕生すると育児を優先した。「初めてしゃべったり歩いたり、子供の成長を見逃したくないから、1日拘束されるドラマの仕事は断り続けた」

 仕事がなくなる不安や葛藤もあったが、そんな立花を激励してくれたのが意外な人物。アーティスティックスイミング(AS)の日本代表コーチを長く務め、多くのメダリストを育てた井村雅代さんだった。

 実は幼少期にASを習っており、当時の先生が井村さん。あるパーティーで偶然、再会した。顔を見るなり「おい立花!おまえはすぐに辞めやがって」と怒鳴られた。それでも恩師に育児と仕事の両立で悩んでいることを打ち明けると、優しい言葉をかけてくれた。

 「今は子育てをしなさい。仕事なくなったっていいじゃん。元々の立花理佐って誰も知らなかったでしょ。そこから有名になったんだから、もう一回同じことやればいい。子育ては今しかできない」

 その言葉で楽になり、穏やかな日々が訪れたが突然、試練が襲いかかった。20年、直腸にがんが見つかった。「最初はお尻が痛くて。痛み止めを飲めば効いていたので病院に行かなかった」。ついに痛みに耐えかね、受診するとステージ3Bと告知された。腸、子宮、卵巣、膣(ちつ)を摘出する15時間の大手術を受けた。その後も23年に公表できるようになるまで、秘して苦しみ、打ちひしがれた。

 「手術の3カ月後から始まった抗がん剤治療の副作用が驚くほど苦しかった。点滴を刺した瞬間にかゆみ、しびれ、痛み、けだるさが全部来るんです。3カ月間、毎回ひどくなっていった。果てが見えず、うつ状態で1年半寝込んだ」

 家では夫や高1になった長男が家事全般を担ってくれた。それすら複雑な思いを生んだ。

 「初めはうれしかった。でも散歩とテレビを見る以外やることが何もなくなると時間がありすぎて、自分は必要とされていないのでは?と悪いことばかり考えてしまった。することがないのが一番つらかった」

 乗り越えるきっかけは、昔のアイドル仲間の支えだった。「西村知美ちゃんたちが家から出そうと、近所まで来てくれて『お茶しよう』と誘ってくれた。中村由真や石田ひかりも頻繁にLINEをくれた。みんなが助けてくれた」

 少しずつ行動範囲を広げ、カラオケに行けるようになった。今度は「ビー・バップ」で兼子信雄役を演じた俳優の古川勉から、トークショー出演の依頼が来た。「最初は断ったけど、由真から『体が覚えているから、やっておいで。楽しいと思えたらちょっと楽になるよ』と言われて」。出演すると「理佐ちゃ~ん!」という声援に、自分が必要とされていることを呼び起こされた。

 さらに強力な援軍が。元女子プロレスラーの立野記代さんやジャンボ堀さんが経営する居酒屋を訪れた縁で、クラッシュギャルズの40周年イベントに“参戦”した。

 「中学生の時に憧れていたレスラーが周りにいて、前でクラッシュの2人が歌っていて、だれも私を病人扱いしない。私は中学生に戻ったようで、気持ちがすごく楽になった」。ライブ後にライオネス飛鳥に「夢を見させてくれてありがとう」とLINEを送ると「もっと夢を見ようよ」と返信が来た。「私、当時は夢を見る気力がなかったんですね」

 現在の体調を聞くと「すっごい元気!」と声を弾ませる。「せっかくがんになったんで、それで終わりにしたくない」とがんサバイバーが発信する技術などを学ぶセミナーを受講した。「同じ苦しみを味わった人や、検査さえ受ければ助かる人に自分の経験を語れるように積極的に勉強していきたい」。アイドル仲間がしてくれたように、今度は自身が寄り添う夢を描いている。

 ◇立花理佐(たちばな・りさ)1971年10月19日生まれ、大阪市西成区出身。中学3年だった1986年、ロッテアイスクリームの「CMアイドルはキミだ!コンテスト」でグランプリを獲得。「毎度おさわがせします3」のヒロインに抜てきされた。「長七郎江戸日記」や「裸の大将放浪記」など多数のドラマや映画に出演。2000年に飲食店を経営する元モデルの男性と結婚。04年に長男が誕生した。血液型A。

編集者のオススメ記事

芸能最新ニュース

もっとみる

    主要ニュース

    ランキング(芸能)

    話題の写真ランキング

    写真

    リアルタイムランキング

    注目トピックス