西田ひかる 異例のアイドル時代 学業優先の活動「夜の時間は仕事に」 同期がWinkや田中律子ら88年組

 アイドルからママになっても魅力的な西田ひかる=衣装:YUKI TORII INTERNATIONAL(撮影・金居みつよし)
 中野サンプラザで初ライブを行った西田ひかる=90年4月
 アイドルからママになっても魅力的な西田ひかる=衣装:YUKI TORII INTERNATIONAL(撮影・金居みつよし)
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 デイリースポーツの月一連載企画「今も輝いて アイドル伝説」。現在、2児の母として関西に拠点を置きながら活躍を続けている西田ひかる(53)の登場です。1988年にデビューし、当時としては珍しい帰国子女という個性を存分に発揮して歌だけでなくドラマやバラエティーなどマルチに活躍。アイドル時代から結婚や出産を経て家庭を優先しつつ、読売テレビ「かんさい情報ネットten.」のレギュラーコメンテーターとして奮闘する現在までに迫ります。

 西田は父の仕事の関係で、生後間もない頃から米ロサンゼルスで暮らした。帰国後もアメリカンスクールに通い、英語は流ちょうで、歌番組やテレビドラマに限らず多彩な仕事が舞い込んだ。

 96年アトランタ五輪ではフジテレビ系の特別キャスターに起用され、99年に行われた2002年サッカーW杯大陸別予選抽選会では司会を務めた。「スティーヴィー・ワンダーが来られた時にインタビューできたりとか。いま思うと本当に貴重な体験」。いずれも歌って踊るだけではない、西田の真骨頂が発揮されたシーンといえる。

 ただ、帰国子女という肩書は強みになることばかりではなかった。デビューはWinkや田中律子らと同じ88年で「同世代の人で日本語をしゃべる機会が、私はデビューするまで全くなかったので」と“逆ホームシック”状態を抱えながらの活動スタートだった。

 「(共演者から)発音が『Rが何か違う』とかツッコまれると、そういうことか、みたいな感じで」。今でいうイジりの対象となったことも少なくない。デビュー3年前に帰国したばかりで、日本での生活自体がほぼ初めて。芸能界に加え、日本での暮らしにも順応していく必要があった。

 10代の少女には酷な環境で救ってくれたのは、当時としては珍しい仕事方針だ。両親や事務所と話し合い、学業優先での活動を決めた。「10代でどれだけ仕事ができるかというのも大事な時期ですし」。当時のアイドルとしては異例の“働き方改革”だった。

 両立は周囲の協力なしでは語れない。アメリカンスクールが終わると新宿までマネジャーに迎えに来てもらい、そのままドラマの撮影やラジオ、バラエティーの収録に直行。「本番が始まる寸前に私だけちょっと音合わせ、カメリハだけしてそのまま本番とか。スケジュールが効率よくいくようにはすごい迷惑をかけていたなと思います」と感謝は尽きない。

 「学校に行くことが自分自身の軸というか。人間として、人としての考え方とか、礎というか土台。やっぱり芸能界だといろんな人と、目まぐるしい毎日の中で体力も使いますし、神経も使うので。学校に行って、ちょっとそういうストレスとか疲れとかプレッシャーのデトックスにはすごくよくて。それがなかったら本当に私らしさがなくなるんじゃないかなと思うところがあって」

 同世代のアイドルと比べても「学校に行っている分、実は仕事量も全体で見たら少ないと思います」と自覚する。上智大へ進学した頃には「芸能で行けるところまで頑張ってみよう」と腹をくくった。

 アイドルとしての西田を象徴するイベントに、バースデーパーティーがある。夏の風物詩としてワイドショーなど芸能マスコミに取り上げられることもしばしば。開催のきっかけも、実は西田の働き方が関係していた。

 仕事終わりの会食でスタッフとの関係を築くことが多かった時代、学業優先の西田は「夜の時間は仕事に使っていた」とかなわなかった。だからこそ、日頃の感謝を伝えるべく始まったイベント。ある年はハリー・ウィンストンの数億円を超えるジュエリーを身にまとい、ある年は東京湾近くのホテルで花火鑑賞と盛大に催した。

 200~300人規模を集めるなど、まさに昭和~平成初期の芸能界を象徴するような企画。「面白いのが、各局のスタッフが皆さん来られたり、テレビ局でも普段は会わない、スタッフの方同士で」と、TVマンにとっての交流会にもなっていたのは笑い話だ。

 プライベートでは02年に結婚し、2人の息子をもうけた。06年には夫の仕事の都合で兵庫県西宮市に移住。LA→東京に続き、環境が再び変わった。特に育児は初めての経験だらけ。米国育ちの西田にとって日本の教育や文化に触れるのが何もかも新鮮だった。

 入学説明会でのことだ。周囲が当然のように紺色のスーツの中、「けっこう華やかな色のスーツを着ていって。スーツを着ているからきちっとしていると思ったけど。一人だけ浮いていて。派手というか自分ではシックだったんですけども、ベージュみたいな」

 2人の息子とともに日本文化を勉強しながら、愛情深いママに成長していった。大学生の長男、高校生の次男ともに野球を続けており、現在も朝5時起きで弁当作りに励む。練習試合から公式戦まで、応援にも駆けつける日々だ。

 現在は家庭を優先しつつ、10年からは「かんさい情報ネットten.」のコメンテーターを務めている。「1人の主婦になって、母になって。いろいろ芸能界じゃないところの部分で、生活の部分の方が多くなって。主婦目線でとか母としての目線というのは何か提供できることがあれば」

 ママ友との会話を取り入れながら時事問題を捉え、西田らしい意見がお茶の間にも親しまれている。「意見を言うにあたって、自分ってどういう考え方をしているんだろうって。すごいよく自分のことを考えるようになりましたね」と自身にとっても好影響があった。

 今後も次男が成人を迎えるまでは家庭第一のスタンスは変わらない。子育てが一段落する数年後に見据えるのは-。「長期の時間が必要となる舞台とか挑戦してみたいですし、プライベートではゴルフに復帰したい」。古くなったゴルフセットを新調し、公私ともに再スタートを切る日を心待ちにしている。

 ◇西田ひかる(にしだ・ひかる)1972年8月16日生まれ、神奈川県出身。73~85年、米ロサンゼルスで暮らす。88年、ミュージカル「小公子セディ」主演。「フィフティーン」で歌手デビュー。91年、日本テレビ系「24時間テレビ 愛は地球を救う」パーソナリティー。TBS系連続ドラマ「デパート!夏物語」主演。主題歌「ときめいて」がヒットし、NHK紅白歌合戦初出場。紅白は計4回出場。94年、上智大比較文化学部卒。2002、05年にミュージカル「モーツァルト!」でコンスタンツェ役。血液型A。

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