元ビリー・バンバンせんだみつお 菅原孝さんをしのぶ バンドはクビ宣告も「僕にとって恩人」自身の名前の秘話も明かす

 兄弟デュオのビリー・バンバンの兄、菅原孝さんが11日、肺炎のため亡くなったことが24日、分かった。事務所が発表した。81歳。同日、兄弟デュオとなる前の4人組バンド時代に元メンバーだったタレント・せんだみつおがデイリースポーツの電話取材に応じ、61年の付き合いがあった盟友との別れを惜しんだ。

 率直にせんだは「81歳でしたから、早いなと思いました」と吐露。「僕は16(歳)からお二人を知ってますから、もう兄弟以上に親しく付き合わさせていただきました」と話した。

 孝さんの訃報は11日に知り、19日に開かれた密葬も友人代表として一人、せんだは参列した。  最後に孝さんと会ったのは5~6年前。「ある地方のホテルのディナーショー」だったといい、「2人で司会やって、歌って漫才やったのは覚えてますね」と回想。当初はデュオのイベントでせんだが司会を務める形だったが、孝さんの弟でメンバーの菅原進が体調不良だったためにイレギュラーな形に。また「なんかのコネクションで、のりピー(酒井法子)と3人でやったんですよ」と明かし、「面白い取り合わせでしたよ。ほとんどがのりピーのファンで、もう(孝さんと)2人で笑いました。参ったなって」と笑みをこぼした。

 創世記のビリー・バンバンはせんだと進と友人の4人だった。進とは学校が違ったものの友人の紹介で知り合い「『おまえ良い声してんな』って言ってる内に彼(進)が『白いブランコ』を作曲したんです」と回想。

 4人で約2年半活動し、同曲もはやりだした頃に、レコード会社からは「兄弟の方がかっこいいだろ」と言われ、せんだと友人はクビ宣告。代わりに別で音楽活動をしていた孝さんが加入し、兄弟デュオの形になった。 残念な気持ちもあったが「僕だけは食い下がって絶対にこの2人を利用してやるんだと思って、ずっとせこくくっついて、なんとか芸能界に入り込もうと思ってね」とし「芸能界に入り込めたのもビリー・バンバンのおかげ。僕にとって恩人です」と感謝を口にした。

 元々せんだは本名の中野で活動をしていたが、孝さんから「おまえは顔が洋風だから『ムッシュ中野』だ」と命名されその名前でデュオのコンサートの司会を務めていた。他にも運転や楽器運びなど、付き人のように仕事をしていた中で、そこから数年たち、デュオのラジオ番組にも時々出演するようになった頃に番組プロデューサーから「おまえはうそつきで1000に三つしか本当のことを言わないから『せんだみつお』になっちゃった」と苦笑で明かした。

 改めて孝さんの存在については「非常にまず勉強家で朝の4時ごろに起きて『ラジオたんぱ(現ラジオNIKKEI)』で中国語も英語もフランス語もぺらぺらなんですよ。めちゃくちゃ博学でね」と説明。「生真面目で強情っぱりで頑固者。もう正義感の強い侍みたいな人でした。『せんだももう少し本読んだ方が良いよ』って言われました」と笑って続けた。

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