【ヤマヒロのぴかッと金曜日】『春一番』の風に吹かれて

 昨年の『春一番 2024』=服部緑地野外音楽堂
 生前の福岡風太氏(手前)と息子の嵐氏
2枚

 豊中市の病院に入院していた福岡風太に会いに行ったのは、去年4月30日。『春一番コンサート』の4日前だった。寝顔をただ見ているうちに15分間の限られた面会時間は終わってしまったが、スヤスヤと気持ちよさそうだったので少しホッとした。

 それでも、さすがに今年は服部緑地に来られそうにないなと半ばあきらめていたのだが、最終日、ハンバート ハンバートが高田渡の名曲『生活の柄』を演奏したタイミングで、車椅子姿でステージに登場したのだ。後で聞いたら、息子の嵐が病院と相談のうえ、30分だけ会場にいられる外出許可を取り付けたらしい。「今年も春一のステージに上がるぞ!」。ホンマにこの親子の何クソ根性はどんな岩盤をも貫いていく。

 やがて演奏が終わり「ハンバート ハンバート~」と、か細くも、しっかりした声で風太が紹介するや、客席からは歓声と涙、そしてこの日一番の拍手が送られた。こうして『春一番 2024』を見届けた後の6月10日に風太は旅立った。享年76。

 『春一番コンサート』とは、71年に大阪で生まれた野外コンサートである。当時の会場は天王寺野外音楽堂。毎年ゴールデンウイークに、このコンサートのためだけに集まる有志スタッフが伝説の喫茶店『ディラン』を事務所がわりにミーティングを重ね、手作りで運営していた。

 当時まだ小学生だった私には知る由もなかったが、その中心にいた福岡風太、阿部登の2人から、この頃の話を梅田のバー『アフターアワーズ』で何十回聞いたか分からない。カネも無い、スポンサーもいない中で、自分たちが見たいコンサートを9年間主催した。

 ♬自由というものは失うものがないことさ♬(『俺とボギー・マギー』中川五郎)やがて、出演者はプロのミュージシャンとなり、運営スタッフの多くも音楽関係の仕事を得て、79年に一度幕を下ろすことになる。

 再開の機運が盛り上がったのは、それから16年後。ふと気がつくとあれほど見たかったコンサート、聴きたくて歌いたかった歌を見失っている。大好きだった音楽をもう一度、今ある肩書をこの日だけ外してみよう!風太の呼びかけに昔の仲間が大阪城野外音楽堂に集まったのだ。

 ♬さあ、もういっぺん。火の消える前に♬(『大文字』豊田勇造)その翌年からは場所を豊中市・服部緑地野外音楽堂に移し、コロナの3年間を除いて毎年続けられている。その間、盟友・阿部登が亡くなり、多くのミュージシャン達もこの世を去った。

 「西岡恭蔵、加川良、高田渡、石田長生、藤井裕、みんな最高やったなァ。ええもんは、ええ!せやけど、あっちに逝ったやつらに負けんように今年も盛り上がるぞー!」。そう言ってた福岡風太ももういない。もういないけれど、沢山いろんなことを音楽を通して教えてくれた。

 風太のいない、最初で最後の『春一番』が始まる。今年は5月3、4、5日の3日間で場所も昨年と同じ服部緑地野外音楽堂。イベント名は風太が最初に作った野外コンサートのタイトルから『春一番BE-IN LOVE-ROCK 2025』。(敬称略)(元関西テレビアナウンサー)

 ◇山本 浩之(やまもと・ひろゆき) 1962年3月16日生まれ。大阪府出身。龍谷大学法学部卒業後、関西テレビにアナウンサーとして入社。スポーツ、情報、報道番組など幅広く活躍するが、2013年に退社。その後はフリーとなり、24年4月からMBSラジオで「ヤマヒロのぴかッとモーニング」(月~金曜日・8~10時)などを担当する。趣味は家庭菜園、ギターなど。

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