【ヤマヒロのぴかッと金曜日】大阪・関西万博ではどんな発見があるんだろう
先週も触れたように、1970年万博が開催された当時、まだ8歳だった私にはおぼろげな記憶しかない。
一番しっかり覚えているであろう7つ年上の姉に聞いたら「うーん。外国人にセーラー服姿を珍しがられてパシャパシャ撮られたことと、帰りにお腹がすいて難波でご飯食べたことくらいかなあ」。こりゃアカンわと、改めて当時のことを調べてみたら『日本の食文化』に関して興味深い話があった。
まずは、未知なる外国の多様な食文化に出会った人が多かったこと。ひと口にカレーといっても、インド、セイロン、マレーシア、アルゼンチン、ニュージーランド館など唐辛子やスパイスの効いたものばかりで、じゃがいもやにんじんがゴロゴロ入った私たちがよく知るオカンのカレーとは全く味の異なるものだった。
ソ連館のボルシチ、アルジェリア館のクスクス、オーストラリア館のマトンピラフなど初めて目にするメニューや、ギリシャ館の『トルマダジャ(ブドウの葉でライスを巻いたもの)』のように、今でもどんな味かよく分からないものもあったらしい。恐らくみんな目を丸くして口に放り込んでいたのだろう。
料理のみならず、万博はその後の日本人の『生活習慣』までも大きく変えたのである。外食産業だ。この年以降、ファミリーレストランが続々とオープンするのだが、なかでも70年万博に並々ならぬ意欲をもって参加したのが、ロイヤルホストを擁する『ロイヤル』の創業者、江頭匡一氏である。
当時、江頭氏は食材の納入から調理まで一括して行い、解凍と仕上げだけを各店舗で行うセントラルキッチン方式を軌道に乗せるべく奔走していた。欧米各地の外食産業を視察し、サービスは欧州に、経営はあくまで合理的な米国に学ぶ考えだった。そして迎えた万博。
共同で出店する約束をしていた米国のレストランチェーン『ハワード・ジョンソン』から採算性が取れないので撤退したいとの連絡を受け「赤字覚悟でやるので、マネジャーの派遣や米国からの食材調達については応援してほしい」と申し入れた。それが受けいれられ『ロイヤルが運営するハワード・ジョンソン』が実現。他にもカフェテリア、ステーキハウス、ケンタッキーフライドチキンと計4店舗を出店し、会場内の各国レストランの中で売上高一位と大成功を収めた。
無論、外食産業に光と影がある事は理解しているが、気軽に外で食事をする習慣のなかった日本人が週末の楽しみにファミレス、ファストフード、回転ずしを楽しむようになったのも、「日本の外食を変えたい」と願う江頭氏のようなチャレンジ精神があったからなのである。
追いつけ、追い越せで突っ走っていたあの頃と今ではずいぶん状況が異なるかもしれないが、単に『食文化』という枠にとどまらず、万博後のあるべき理想の姿を追い求める日本人が大阪・関西万博にもきっといるはずだ。安直な拝金主義のカジノだけは御免被りたいところだが…。(元関西テレビアナウンサー)
◆山本浩之(やまもと・ひろゆき) 1962年3月16日生まれ。大阪府出身。龍谷大学法学部卒業後、関西テレビにアナウンサーとして入社。スポーツ、情報、報道番組など幅広く活躍するが、2013年に退社。その後はフリーとなり、24年4月からMBSラジオで「ヤマヒロのぴかッとモーニング」(月~金曜日・8~10時)などを担当する。趣味は家庭菜園、ギターなど。
