大鶴義丹 父・唐十郎さん悼む 看取ることはできず「役者はそういう人生だって、死の瞬間を持ってでも劇的に教えてくれた」

 劇団唐組の主宰で劇作家の唐十郎(から・じゅうろう、本名大鶴義英=おおつる・よしひで)さんが4日、急性硬膜下血腫のため都内の病院で死去した。84歳。東京都出身。通夜、葬儀は近親者で執り行う。訃報が伝えられた5日に唐組は、東京・新宿の花園神社で唐さんの代表作「泥人魚」の東京公演初日を迎え、開演前に座長代行・久保井研(61)が取材に応じた。また、唐さんの長男で俳優・大鶴義丹(56)も都内で会見し、演劇界をけん引した父をしのんだ。

 都内で会見に応じた大鶴は、悲しみをこらえつつ、父を悼んだ。

 唐さんの最期は現在の妻と大鶴の異母きょうだいが看取ったという。大鶴は「(亡くなったのが)午後9時5分ぐらい。私も昨日は舞台初日だったんですが。芝居が終わるのがちょうど9時過ぎ。父を看取ることはできなかった」と回顧。「まだ少し体温が残ってるような。よく『役者は親の死に目に会えない』と言いますが、まさに役者はそういう人生だって、死の瞬間を持ってでも劇的に教えてくれた」と話した。

 演劇人としての唐さんは「求めるパフォーマンスに及ばない時は何も言わない。ニコニコして、うんうんって言うんだけど。そういった意味では厳しいですよね」と振り返った。幼い頃に見た父の背中が印象的だと明かし「テントの劇場、舞台に飛び込んでいくときに僕を振り返ってニヤッと笑うんです。うれしそうに。舞台の上に立っている時間の方が幸せかのように飛び込んで行く。『三度の飯を食べるように芝居を作り続けたい』とよく言っていました」と目を細めた。

 唐さんへの思いの中で心残りもあるという。「どこかで対抗心があって演出を受けたことがないんです。父の演出で父の戯曲の芝居をする機会はあったのに、なんでしなかったのかな」と後悔をにじませた。

 唐さんは1983年に「佐川君からの手紙」で芥川賞を受賞するなど、小説家としても活躍。大鶴も大学在学中に代表作「スプラッシュ」で、すばる文学賞を受賞し小説家デビューを果たしたが「なかなか褒められなくて。うれしそうな顔をしてるんだけど『俺にはまだまだ、かなわんぞ』というようなことを、いつも言う人でした」と偉大な父の笑顔をしのんだ。

 ◇マルシア「唐さんは元義理の父でもあり、あの頃を振り返ると…お酒が大好き、楽しいお話しが大好き、演劇や文化の話をジョークを飛ばしながら爆笑した印象が御座います。昭和の偉大な宝がまた一人去って逝く。唐様、改めて感謝を申し上げます」(Xより)

 ◇宮沢りえ(唐さんの代表作「泥人魚」などに出演)「唐さん、さようなら。唐さんの作品に出会えた事は、私の、人生の、最高の、宝物です。これからも、大切に、大切にします」(インスタグラムより)

 ◇麿赤兒(大駱駝艦主宰)「言葉になる前に、あの六十年代、唐と駆け抜けた時間がドドドッと脳裏に蘇った。唐との出会いは私の人生の最大にして最深の劇的出来事であった。そして今思うのは、彼は二度の死を受け入れたのではないだろうか。一度目は12年前に倒れ、まさに彼の命である戯曲の言葉を絶たれた事だ。このことの私の悔しさ寂しさは、今日、彼の悲報に触れて何倍にも私の胸を打つ。唐組の芝居が期せずして東京で行われている。劇団員の心いかばかりかと思う。心からエールをおくりたい。ここには唐十郎の劇世界が厳然と生きているのだ。ゆっくり眠ってくれ、何また会えるさ!」

 ◇渡辺謙「私の舞台デビュー作『下谷万年町物語』の作者である唐十郎氏がご逝去された。田舎から出て来て、まだ劇団の研究生2年目の右も左も分からない私にとって、唐さんの作品はまさに未知との遭遇 ワンダーランドでした 素晴らしい劇作家でした」(Xより)

 ◇佐野史郎「思いめぐることが多過ぎて、言葉にならない。ただ、間違いなく、唐さんの舞台を観たことで、状況劇場に入団したことで、そして退団後も交流させていただけたことで、多くのことを学び、導いていただいたことは間違いない。戦後の上野の焼け野原の光景から世界を読み解き始めた唐さんのまなざしから学ぶことは、まだまだ多い。唐さん、今は、ただ、ゆっくりお休みください。そして、これからも、よろしくお願いいたします」(公式サイトより)

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