没後50年 生き続けるブルース・リー伝説 「考えるな、感じろ」共感は今も世界に広がる

 没後50年を迎えたブルース・リー(ゲッティ=共同)
 ブルース・リーの像の前でパフォーマンスするファン(共同)
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 カンフー映画の世界的スター、ブルース・リー(中国名・李小龍)が香港で32歳の若さで死去してから50年となった20日、追悼行事が香港で行われ、世界のファンが功績をたたえた。アジア系のイメージを刷新して中国武術を世界に知らしめ、香港では「世界中の人が初めて憧れたアジア人」との評価が定着。リーの思想や言葉への共感は今も世界で広がっている。

 行事があったのは、九竜地区の繁華街チムサチョイのビクトリア湾に臨む遊歩道にあるリーの像の前。韓国から訪問したシン・ヨンウさんは武術を披露。「リーを好きになり武術を始めた。尊敬している」と話した。

 香港ではリーの映画を見たことがない若者も増えているが、ファンクラブ「李小龍会」の黄耀強会長は「作品や思想を次世代につなげたい」と語った。

 中国の伝統演劇の俳優を父に持つリーは米サンフランシスコで生まれた。香港で学校に通った後、渡米して大学で哲学を専攻し、俳優や武術家として活動。アジア系であることが影響し米映画で主演できない挫折を味わった。香港に戻り主演した「ドラゴン危機一発」(71年)がヒットし、「燃えよドラゴン」(73年)などが世界で大人気となった。

 映画界に与えた影響は絶大で、米映画の格闘シーンに変革をもたらした。詠春拳という中国武術を基本にリーが考案したジークンドーを学んだ人々が米アクション界を引っ張っている。

 「考えるな、感じろ」などリーが残した言葉は今も人々を引きつける。香港の19年の反政府デモでは「友よ、水になれ」の言葉が、形を自在に変えて抵抗を続けるという意味のスローガンとなった。

 黄氏は「リーの映画や思想を深く理解することが人生に良い影響をもたらす」と力説。香港文化博物館では特別展も開かれている。

 日本ではリーを知らずにジークンドーを始める若者も増加。ジークンドー団体、IUMA日本振藩國術館の中村頼永代表は、漫画「名探偵コナン」の登場人物がジークンドーを使うことから始める人が少なくないと説明。「徐々にリーの思想や映画にも興味を持ってくれれば」と話した。

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