侍ジャパンの明と暗 野球発祥の地で実況した元TBS林アナの記憶とは

 ワールド・ベースボール・クラシックの開幕直前企画「実況アナが語るWBC・伝説編」。今回は連覇を達成した第2回大会の決勝と、初めて頂点を逃した第3回大会の準決勝を実況した元TBSの林正浩アナウンサー(66)を直撃。日本の明と暗を現地で目撃したレジェンドに記憶をひもといてもらった。

  ◇  ◇

 前回王者として迎えた2009年の第2回大会。日本は巨人を率いていた原辰徳監督を代表に招き、初めて「侍ジャパン」の名称を採用した。

 敗者復活のあるトーナメント制に変更となり、決勝で対戦した韓国とは大会を通じて5回も対戦。日本は第2ラウンド初戦でキューバ、準決勝でアメリカを撃破し、連覇を目指した。

 1点リードの九回に新守護神のダルビッシュ有投手をマウンドに送るも、2死一、二塁から同点打を浴びる。だが、林氏は「まったく負ける印象はありませんでした」と振り返る。

 同点のまま突入した延長戦。十回2死二、三塁のチャンスで大不振のイチロー外野手が打席へ。韓国は敬遠策を選ばず、勝負する。「不振だったけど、チャンスで回ってきたら決めてくれる期待感がありました。これは面白いなと思って実況していたのを覚えています」。予想通りにイチロー選手は中前打を放ち、2点を勝ち越し。勢いそのままに優勝を果たした。

 試合後、同僚のアナウンサーに飲みに誘われたが断ったという。「1人になりたかったのでホテルに帰りました。僕自身も達成感に浸りたかったんですかね」。ビール一缶の打ち上げが染みた。

 一方、2013年の第3回は、まったく異なる記憶が残っている。監督人事はもめにもめて山本浩二氏に決定。初めてメジャー組が不在な上、これまでアメリカで行われていた第2ラウンドまでが日本で開催された。

 「準決勝でアメリカに行って、いきなり一発勝負。不安要素は多かったですけど、やっぱりプエルトリコが強かったですね」

 福岡での第1ラウンド、東京での第2ラウンドを6戦5勝で駆け抜けた日本は、サンフランシスコに場所を移した準決勝で最強捕手モリーナを中心としたプエルトリコと激突。3点を先制される苦しい展開ながら、八回に1点を返し、なお1死一、二塁の好機を演出する。だが、一塁走者の内川聖一内野手と、二塁走者の井端弘和内野手の重盗がかみ合わず、内川内野手が盗塁死。反撃の力はもう残されていなかった。

 何が起きたのか分からないような形でチャンスがしぼんだ。実況席にいた林氏は「ミスだと言うのは簡単だけど、ボーンヘッドって言葉は使いたくありませんでした。モヤモヤはありましたが、一言で片付けたらいけないと思いました。ペナントレースだったら言っていたかもしれません」と慎重に言葉を選んだ。それが国際試合の重みだった。

 敗戦の記憶はカモメたちだという。「海の近くの球場で、試合中はいなかったカモメがアッパーデッキにずらりと並んでいたんです。第2回の高揚感とは違った意味で頭が真っ白。ナイトゲームの明かりの中にいるカモメが印象に残っていて、終わったんだな、と思いました」。野球発祥の地で目撃した明と暗。今大会で侍たちは、どんな景色を見せてくれるのだろう。

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 林氏は今大会の注目選手に横浜の牧秀悟内野手を挙げた。21年から横浜のキャンプに密着しており、今年も宜野湾で汗を流す姿に熱視線を送った。

 「オリンピックもそうですけど、必ずクロスゲームになるんです。どう1点を取り、守るか。牧選手は連日特守をやって、守備を積極的に鍛えてました。打つだけでなく、頼もしかったですね」

 第3、4回と世界の壁にぶつかっているが「『じゃあ、今回はぶち破ってもらおう!』っていう大会ですね」と活躍を心待ちにしている。

 ◆林正浩(はやし・まさひろ)1956年3月26日生まれ。東京都出身。桜美林高時代に一塁手として春の甲子園に出場。立大卒業後の79年にTBS入社。37年間の在職で、87年の第1回W杯・ラグビー決勝やシドニーとアテネの五輪などを担当。09年から7大会連続でマスターズ ゴルフの実況を務めた。現在もWOWOWのゴルフ中継やSHOWROOMのプロ野球・DeNA主催試合の中継などに携わる。

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