稲盛和夫さん死去 90歳、老衰 京セラ創業 戦後経済けん引「現代の松下幸之助」

 2014年、京セラ本社でインタビューに応じる稲盛和夫さん
 2011年1月、日本航空の会長として格納庫を視察する
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 京セラの創業者で名誉会長の稲盛和夫(いなもり・かずお)さんが24日午前8時25分、老衰のため京都市内の自宅で死去した。90歳。鹿児島市出身。KDDIを設立し、日本航空の再建も手がけるなど戦後経済をけん引。またサッカーJ1京都サンガFCの設立に寄与し、支援してきた。葬儀・告別式は近親者を中心に行った。後日、お別れの会を執り行う予定。喪主は長女の金沢(かなざわ)しのぶさん。

 その手腕は「現代の松下幸之助」「ベンチャーの神様」と言われた。1955年に鹿児島大を卒業。京都のメーカーを退職後、59年に27歳で京都セラミック(現京セラ)を創業した稲盛氏。セラミックを用いた電子部品で業績を伸ばし、一代で売上高1兆円超、グループ従業員約8万3千人の世界的メーカーに育てた。

 後半生に力を注いだ仕事の一つが、通信事業。84年に第二電電企画(現KDDI)を設立。NTTの独占状態に立ち向かった。長距離電話のほか、データ通信や携帯電話など事業規模を拡大、93年に株式上場。2000年にKDDなど2社と合併し、KDDIが誕生した。「国民のために長距離電話料金を少しでも安くしよう」のスローガンの下、圧倒的な力を誇るNTTに果敢に挑んだ「稲盛イズム」は、国内通信業界の独占状態に風穴をあけた。

 2010年には政府の強い要請で、巨額の債務を抱えて経営破綻した日本航空の会長に就任し、無給で指揮を執り再建させた。京セラで培った「アメーバ経営」の手法を生かし、事業部門を小集団に分け、独立の採算管理を徹底。不採算路線の撤退に加え、パイロットに支給する弁当の内容に至るまでコストに目を光らせた。

 日本航空では人員削減も実施したが「人を解雇したことがなかったので心情的には忍びないものがあった。大変悩んだ」と吐露。苦戦する日本の企業には「歯を食いしばって逆境を乗り越えるという気概が、経済界や企業経営のリーダーに欠けている」と直言した。

 後進の育成や社会貢献に熱心に取り組み、中小企業の若手経営者向け勉強会「盛和塾」からは約2万6千人が巣立ち、経営哲学は世界に広がる。私財を投じ創設した「京都賞」は日本版ノーベル賞として定着。著書が翻訳されている中国ではネット上に追悼の声が相次いだ。

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