サックス奏者・原信夫さん死去 美空ひばりさんバックバンドで活躍、「真赤な太陽」作曲

 原信夫さんが作曲した「真赤な太陽」のジャケット 
 サックスを演奏する原信夫さん=2010年6月、東京国際フォーラム
 原信夫さん
3枚

 ジャズのビッグバンド「原信夫とシャープス&フラッツ」を率いたサックス奏者の原信夫(はら・のぶお、本名塚原信夫=つかはら・のぶお)さんが、21日午後9時48分、肺炎による呼吸不全のため、都内の病院で死去していたことが22日、分かった。94歳。富山市出身。葬儀は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く予定。喪主は長男の原とも也(はら・ともや、本名塚原知哉=つかはら・ともや)氏。

 原さんは16歳で旧海軍軍楽隊に入って演奏法を学ぶと、1951年、ビッグバンド「原信夫とシャープス&フラッツ」を結成。50~60年代に江利チエミさんや美空ひばりさんのバックバンドとして活躍した。原さんが作曲し、ひばりさんが歌った「真赤な太陽」は大ヒット。63年から12年連続でNHK紅白歌合戦でも演奏を務めた。

 67年、米国の「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」に日本のバンドとして初出演。海外公演も多くこなし、クインシー・ジョーンズら世界的スターとの共演も多かった。

 2009年には天皇皇后両陛下ご成婚50年及び天皇陛下ご即位20年の奉祝行事で、御前演奏。10年に解散するまで、半世紀以上にわたって日本ジャズ界をリードした。

 ◇加藤和也氏(美空ひばりさんの長男でひばりプロダクション社長)「母が演歌歌謡曲だけではなく、ジャズやポップスにも精力的に取り組む事ができたのは、原信夫さんのお陰によるものです。またロックに挑戦したのは、原さんに作曲していただいた『真赤な太陽』でした。晩年、最後にまた原さんの演奏で歌いたいと口にしていた母ですから、きっと天国でセッションしていることだと思います」

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