【惜別】「裕ちゃん」が打ち破った五社協定 石原プロ58年の歴史に幕

 1995年2月9日付 阪神大震災で2万食の炊き出しボランティア
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 昭和の大スター・石原裕次郎さんが1963年に設立した「石原プロモーション」が16日、58年の歴史に幕を閉じる。芸能史で一時代を築いた老舗プロの半世紀以上にわたる歩み。節目の日を前に、デイリースポーツOBで芸能担当を務めた島久夫氏(88)が惜別の思いを寄稿した。

  ◇  ◇

 私は映画記者として日活を担当し、裕次郎さんを「裕ちゃん」と呼ばせていただいた。だから、石原プロの最後まで「裕ちゃん」と呼ばせてください。

 裕ちゃんは私より2歳若かったが、仕事の上では同期だった。私が入社した昭和31年、裕ちゃんは映画「太陽の季節」でデビュー。わき役だったが、瞬く間に日活のドル箱スターになっていった。

 7年後、裕ちゃんは石原プロを旗揚げ。「自分の作りたい映画をやりたい」という思いからだった。大手映画会社の「五社協定」により、各社の専属俳優が他社の作品に出演しようとすると「勝手なことはさせない」という時代。それを打ち破ったのが石原プロだ。

 今の人にとって、石原プロはテレビドラマ制作のイメージが強いかもしれないが、裕ちゃんの原点は映画であり、五社協定に対抗すべく生まれた。当時の記者は口には出さなくても応援していた。

 裕ちゃんに続き、各社の看板俳優が自ら制作プロを興した流れを背景に、昭和44年のデイリー正月紙面で、裕ちゃんと三船敏郎、中村錦之助の新春トリオ座談会が実現した。

 当初は三船さんとの対談を申し込んだが、裕ちゃんは「2人じゃ、やだよ。それは他紙でやるから。3~4人なら」と提案。デスクと仲の良かった錦ちゃんが加わった。謝礼なしで、日本映画のために俺たちが組まなきゃとの思いが伝わった。

 石原プロで五社協定を打ち破った作品は、三船さんと共演した「黒部の太陽」だと思う。「自分たちが作りたい映画」を作る突破口となる作品だった。

 成城のお宅も訪ねた。石原プロ制作の映画「ある兵士の賭け」公開前で昭和45年のこと。裕ちゃんはウイスキーをビールで割って飲んでいた。酔っぱらって笑う姿が目に浮かぶ。私は酒が飲めないので、ビールに口を付けずにいたら、帰り際、「島さん、今度はジュースで乾杯しようぜ」と声をかけてくれた。

 そんな風に、彼は心配りをする人だった。天変地異が続いた平成の時代、石原プロは兵庫や東北の被災地で炊き出しをした。「人にやさしく」という裕ちゃんの精神が、渡哲也さんらに引き継がれたのだと思っている。

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