「兄さん、兄さん」ってかわいい坊やで…ザ・タイガースの瞳みのるが岸部四郎さん悼む

 ザ・タイガースに加入し、会見を行う岸部四郎さん(中央)一番奥が瞳みのる=1969年3月
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 グループサウンズ(GS)から生まれたスターがまた一人、旅立った。GSを代表するバンド「ザ・タイガース」のメンバーで、テレビの司会者や俳優としても親しまれたタレントの岸部四郎(きしべ・しろう)さんが8月28日午前4時33分、拡張型心筋症による急性心不全のため千葉県内の病院で死去したことが15日、分かった。71歳。京都府出身。葬儀は近親者で行った。ザ・タイガースのドラムス、瞳みのる(73)が15日、デイリースポーツの取材に応じ、岸部さんを悼んだ。

  ◇  ◇

 最後に会ったのはザ・タイガースの東京ドーム公演。その後もあまり体調が良くないということで、(岸部)一徳にはたびたび状態を聞いていたんですが、小康状態ということでした。タイガースはまだ解散はしていないので、また同じ舞台に立ちたいと思って頑張っていたんですが…。

 11~12年に、沢田研二のバンドに僕らが参加して、ほぼタイガースでやっている時に彼が見に来たんです。当時も車いすだったけど、まだ立つことはできて、立って一緒に写真を撮ったりしました。僕は彼より先に、09年に脳梗塞をやって、記憶障害、視覚障害などが出たので、病気の話もしましたね。

 彼はまだ小学生の時から知っています。僕と一徳は同じ中学で、3年の時は同じクラス。よく岸部家に遊びに行ってて、その時にまだ小学校6年生ぐらいだった四郎は「兄さん、兄さん」って僕らに混ざってきて、かわいい坊やっていう感じでした。

 一方で、ビルボードなど洋楽に精通していて、音楽的なアドバイスをしてくれた。それが(前身の)ファニーズやタイガースに生かされたんです。メンバーに入ったのは加橋(かつみ)が辞めた後。元々、身内だけで作ってたグループだったから他の者は入れたくなかったので、彼をメンバーにしたんです。

 彼の性格は、生来ののんびり屋。そこにいるとホッとするというか、すごく普通っぽい青年でしたね。

 僕はタイガースで一番年長なんですが、一番年少の彼が先に逝っちゃったのは残念でなりません。ゆっくり休んでほしいし、音楽を聴くのが好きだったから、天国で大好きな洋楽を聴いているんじゃないかと思います。

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