中曽根元首相死去 また昭和が遠く…「戦後政治の総決算」掲げ国鉄など民営化

 「戦後政治の総決算」を掲げて戦後第5位の長期政権を担った元首相の中曽根康弘(なかそね・やすひろ)氏が29日午前7時22分、老衰のため東京都内の病院で死去した。101歳。群馬県出身。葬儀・告別式は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く。喪主は長男で参院議員の弘文(ひろふみ)氏。変わり身の早さを「風見鶏」などとやゆされる一方、国鉄(現JR各社)の分割・民営化など行財政改革を大胆に推進。国政のタブーにも挑んだ。

 激動の昭和を駆け抜けた中曽根氏が101歳の生涯を閉じた。

 中曽根氏は首相在任中は国鉄のほか、日本電信電話公社(現NTT各社)、日本専売公社(現日本たばこ産業=JT)の民営化など行財政改革を進めた。

 外交では、首相就任直後に首相として初の韓国公式訪問を電撃的に実現し、関係改善を推進。対米関係ではレーガン大統領との間で信頼関係を築いた一方、日米同盟に関する「運命共同体」「不沈空母」発言が物議を醸した。85年のプラザ合意ではドル高を是正、円高を事実上容認した。

 首相として戦後初めて靖国神社を公式参拝し、中国の反発を招いた。防衛費の国民総生産(GNP)比1%枠撤廃など国政上のタブーにも挑んだ。

 ロッキード事件、リクルート事件を巡り国会で証人喚問を受けるなど疑惑も指摘されたことも。派閥のバランスを見ながら大臣らを登用する態度を「風見鶏」とやゆされるなど、マイナスの評判も付きまとった。

 中曽根氏は東京帝国大卒。内務省入り後に海軍主計将校となり、終戦を迎える。1947年、衆院旧群馬3区で当時の民主党から初当選し、当選20回。科学技術庁長官、運輸相、防衛庁長官、通産相、自民党幹事長、行政管理庁長官を歴任。82年11月、第71代首相に就任した。97年には大勲位菊花大綬章を受章した。

 2003年の小泉首相の勧告を契機に引退した。議員引退後も「国民の手による憲法を制定すべきだ」と憲法改正を主張していた。

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