ROLLY「中学生からの夢かなえたセルフカバーアルバム」~インタビュー前編

 ロックミュージシャンのROLLYが、他アーティストへの提供曲をセルフカバーしたアルバム「ROLLY’S ROCK WORKS」をデビュー29周年の5月21日に発表した。俳優、タレント、文筆業と多芸多才なROLLY、提供した相手もTOKIO、ももいろクローバーZ、Puffyら幅広く「50曲前後」に上る。インタビュー前編では楽曲提供とセルフカバーの極意を語る。

  ◇  ◇

 ROLLYは1990年にバンド「すかんち」でデビューした。すかんちは96年に解散したが、楽曲提供はバンド時代から始めており、「TOKIOさんのファーストアルバム(94年)に『恋のカリキュラマシーン』という楽曲を提供したのが初めだったような」と振り返った。

 「おなかを痛めた子供なので、毎回自分で歌えたらなあとずっと思って」いたといい、セルフカバーアルバム構想はなんと「中学生の頃にさかのぼる」。

 「キャンディーズが『やさしい悪魔』(77年)という歌を大ヒットさせてたんですけどね。作曲者は吉田拓郎さんだったんですよ。あと『襟裳岬』(74年)が大ヒットしてた。『襟裳岬』の作曲者も吉田拓郎さんでした。その頃ね、『ぷらいべえと』(77年)というね、吉田拓郎さんのセルフカバーアルバムが出たんですよ」

 寺西少年は「本人が歌うと、まさしくその人の作品であるということがものすごく…楽曲の持ってる真の姿みたいな(もの)、がすごい見えてる。なるほどな~、これはためになるな」と実感。「いつか自分が楽曲を他人に提供することがあったら、こんなアルバム出したいなとずっと思って」いたという。つまり本作は「中学生からの夢をかなえた男のアルバム」と言える。

 「自分が産んだ子供を、どんな子供も全員かわいくてね、自分では選べません」という理由で、選曲はレコード会社の担当ディレクターに一任。結果、どの楽曲もROLLYのポップ魔術が全開の、きらびやかな仕上がりになった。

 デヴィッド・ボウイがモット・ザ・フープルに提供した名曲「すべての若き野郎ども」(72年)のような例は音楽史に珍しくない。気前よく秀逸な楽曲を他人に提供する、その理由を聞いてみた。

 「子供の頃から音楽が大好きで、聴いてきた音楽の知識とか、ネタですね、自分のアルバムだと、前もやったことがあるので、もう使えないっていう手があるわけです。何枚か離れれば『おっ、久しぶりにアレが来た』と喜ばれますけど、毎回同じコード進行だと遠慮しちゃいますわね。でも、クライアントの方に、ROLLYさんにお願いしたいんですよ、しかもあの『恋のマジックポーション』(すかんちの4thシングル)みたいな雰囲気のやつって言われると、了解!って。さらに、すかんちの6枚目のシングル『恋するマリールー』のストリングスアレンジと、何々の曲のこの感じ、サービスでつけときますっていう感じね。得意なものを、かつてやったものをより濃厚に出せるんですよね」

 提供曲には、ROLLYの特徴がより濃密に発揮されている性質があるというわけだ。

 「元のナンバーもそもそも自分で演奏したものなので、聴き比べてもらえると面白いと思いますね。歌ってる人が違うから全く違うものに聴こえる。吉田拓郎作曲の『襟裳岬』の理論ですね。森進一が歌った『襟裳岬』を吉田拓郎が歌ったらなるほどって思うぐらいその本人っぽくなったっていう」(続く)

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