フジ遠藤新社長が語る父・周作氏からの言葉 会社員の地位は「貸衣装」

 6月に就任したフジテレビの遠藤龍之介新社長(63)のインタビュー、全2回の2回目は遠藤社長の“これまで”について。作家・遠藤周作さんの長男として、父から投げかけられた言葉や、広報担当として対処した「ニッポン放送買収問題」について、テレビマンとして制作に携わった特撮作品について話を聞いた。

 -2005年、ライブドアが当時フジテレビの親会社だったニッポン放送を買収した騒動の時に広報部長として対応された。あの時を振り返ってどう思いますか。

 「私は2003年に広報に行って、危機管理の仕事をしていました。普段は広報にこられる記者さんというのは文芸部や学芸部とかなんですけど、あの時は経済部の方がメインだったんですよ。その人数たるやすごくて。知らない記者さんもずいぶんいました。広報も騒然としていて、日々電話が鳴り止まないという感じだったのを覚えています」

 (続けて)「マスコミ的にはニュースにしやすい話だったと思うんです。そういう意味でも、フジテレビにとってはエポックメーキングな事件でした。今、振り返ってみれば、『会社は誰のものか』ということがテーマだったと思うんですね。このテーマは今でも継続していますよね。会社は株主のものなのか、それとも視聴者とか、スポンサーとか、社員まで含めたステークホルダーのものなのかということが、対立した事件だったなあと。いまだに引きずっていて、その答えは出ていませんよね。今でも時々言われますから。その先鞭をつけたのがこの事件だったのかなと思います」

 -遠藤周作さんのご子息として、得したこと、損したことはありますか。

 「損得でいうと、圧倒的に得なことの方が多かったですね。私の名前は龍之介で、ちょっと変わっているので、名前の由来を聞かれることが多いんですが、そうすると(周作氏が)芥川賞を取った翌年に生まれたからなんですよ、みたいな話になる。初対面の方でもそういう話題で距離が縮まったりしました。そういう意味では父親にはすごく感謝していますね」

 -お父様から仕事のことで何か話されたことは。

 「フジテレビに内定をもらった後、2人で飲んでいた時なんですけど、(父が)『俺はサラリーマンをやったことがないから分からんが、サラリーマンは課長とか部長とかあるらしいけど、ああいうのにこだわるのはみっともないからやめろよ』って言うんですよ。何でですかって聞いたら、『課長とか、部長っていうのは会社が一時的に誰かに貸与するものだろ?社長だって、3期6年ぐらいやると潮時らしいじゃないか。そういうのって、いわば会社からお前が借りている貸衣装なんだよ。貸衣装借りておいて、色が派手だとか、地味だとか、寸が足らないとかでかすぎるとか言うの、おかしいだろ』って言われて。ああそうなのかなと思いました。そこまではいい話なんだけど、その後、『俺は死ぬ時も作家と言われて死ぬと思うんだけど、俺はずっとタイトルが変わらない。だから、俺は英国屋の仕立てのスーツなんだ』って。自慢したかっただけなんだと思いましたね(笑)」

 -社長になられた今、言葉の響きが変わることはありますか。

 「そういうことって、時々ふと思い出すわけですよ。毎日毎日考えるわけじゃないけど。何かにぶつかったりすると、あんなこと言われたなとか。しんどい時は父親だったらどう考えたかなと時々考えたりしますね」

 -以前は特撮番組も担当していた。

 「既存の路線じゃないものをやりたいなと思っていて、あのシリーズは戦隊シリーズでもないし、女子ものでもないんですよね。そういう中で新しいものをやりたいなということで、子どもさんの番組なんだけど、ちょっと大人が見てもなんとなくクスッと笑えるようなことをやろうと。やってみたら難しかったんだよなあ…」

 (編集注・「ロボット8ちゃん」に始まるコメディタッチの特撮シリーズ。「有言実行三姉妹シュシュトリアン」まで80年代から93年まで日曜朝に放送された。遠藤社長はそのうち「どきんちょ!ネムリン」、「勝手に!カミタマン」などを担当した)

 (続けて)「僕が一番気に入っているのは、バス停が故郷へ帰るという話なんですけど…(「どきんちょ!ネムリン」の1エピソード)。地方のバス停が何らかの事情で東京に来て、塗り直されて丸の内かなんかにいるんですよ。バス停がだんだんホームシックになっていくんですね。それで、ある日は10m、次の日は30m、故郷である南の方にずれていって、バス停が移動している!って人々の話題になるっていう話(笑)。主人公がバス停を故郷に帰してあげたら、ラストカットでバス停から手紙が来る。そういう話を毎回考えるのって結構大変なんですよね」

 ◆遠藤龍之介(えんどう・りゅうのすけ) 1956年6月3日、東京都出身。慶大卒業後に81年4月フジテレビジョン入社。01年7月編成制作局制作部長。03年6月広報局広報部長。07年6月から取締役。10年6月に常務取締役、13年6月には専務取締役となる。17年6月からは社長補佐等担当となり、今年6月に社長に就任した。

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