ジャニー喜多川さん死去 87歳 くも膜下出血“子どもたち”のみ家族葬で通夜・告別式
ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川氏(本名喜多川擴=きたがわ・ひろむ)が9日午後4時47分、解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血のため都内の病院で死去した。87歳。米ロサンゼルス出身。6月18日午前11時30分頃、東京都渋谷区の自宅で体調の異変を訴えて都内の病院に救急搬送され、解離性-と診断されて入院していた。通夜・告別式はタレントたちとジャニーズJr.のみで家族葬として営まれ、後日、お別れの会を行う予定。
日本の芸能界を永遠に変えたカリスマが、人生の幕を下ろした。
ジャニーさんは自宅で体調の異変を訴え、病院に向かおうとしたところ意識を失った。今月1日、事務所から病に倒れたことが発表され、嵐の松本潤(36)、少年隊の東山紀之(52)、ジャニーズアイランド社長の滝沢秀明氏(37)らが回復を祈り、教えを守っていくことを誓ったばかりだった。
事務所によると、集中治療室で救命措置を受けていたが、一般病棟に移ることができた。病室には所属タレントたちがひっきりなしに面会に訪れ、新旧の楽曲を流しながら近藤真彦(54)、東山らからJr.までが同じ空間で思い出を語り合い、ジャニーさんの好物をにぎやかに食べることが日課となっていた。
時には危機的状態に陥ったが、タレントたちが呼びかけ、体をさするたびに一時的に回復するという奇跡を起こし、病床でもまな弟子たちとの固い絆を見せていた。
ジャニーさんは高野山真言宗米国別院の僧侶・喜多川諦道さんの次男としてLAで生まれた。一度は帰国し和歌山に居住したが、1947年に再び渡米。現地で日本の芸能人が行う公演を手伝い、笠置シヅ子さん、美空ひばりさんらと交流してショービジネスへの造詣を深めた。
再帰国後、ワシントンハイツ(現代々木公園一帯)で「ジャニーズ少年野球団」を作り、メンバーだったあおい輝彦らと62年にミュージカル映画「ウエストサイド物語」を鑑賞。感銘を受けてエンターテインメント界への進出を決意し、62年4月に初代ジャニーズを結成、6月にジャニーズ事務所を創業した。
男性が踊ることが珍しかった時代に「男版・宝塚」を完成させようと独自の感覚でプロデュース。フォーリーブス、近藤真彦、少年隊、光GENJI、SMAP、嵐らを育て、各世代でスターを輩出。男性アイドルの草分けとなる「ジャニーズ」ブランドを一時代で築いた。
倒れる前日の6月17日にはNHK BS「ザ少年倶楽部」の番組収録に立ち会い、ジャニーズJr.のステージを演出。最後まで人生をエンターテインメントにささげた。事務所は「いつまでもエンターテイメントを楽しむことができる、平和で希望に満ちた未来で有り続けることを心から願っておりました」と、生涯をかけて貫いた信念を代弁した。
通夜・告別式はジャニーさんの“子どもたち”であるタレントたちとJr.のみで「家族葬」として執り行われる。エンターテインメントへの愛を貫いた巨人は、わが子のように慈しんで育てたタレントたちの深い愛情に包まれて旅立つ。
